古墳の森TOP埼玉県の古墳久喜市(旧菖蒲町)の古墳久喜市(旧菖蒲町)の古墳地図


           てんのうやまづかこふん / かやまこふんぐん(かやまななつか)
埼玉県指定史跡
天王山塚古墳 / 栢間古墳群(栢間七塚)


※写真は全てクリックで拡大します※


栢間古墳群中の主墳

埼玉県の重要遺跡に選定された9基の古墳が存在しており、「栢間七塚」とも呼ばれている栢間古墳群を構成する一基 。

中でも最大の前方後円墳であるこの天王山塚古墳は主墳と位置づけられている。

かつて、天王様の祠があったのが、天王山塚の名の由来とされる
 

推定、横穴式石室

主体部は未調査で不明であるが、墳丘上には、加工痕のある角閃石安山岩(群馬県榛名山産)が散見されるため、横穴式石室が構築されていたものと推定される

(訪問時には、枯葉が多く、石材らしきものは確認できず)
 

四天王の謎

さきたま古墳群の造営に続き、周辺で造られた100m超の4つの大型前方後円墳の一つ

天王山塚古墳
若王子古墳(消滅)
小見真観寺古墳
真名板高山古墳

いずれも相当な力を持った豪族の墳墓と考えられる

さいたま古墳めぐり』では上記の4古墳を『四天王』として紹介しており、造営の時期、規模などがほぼ同じであることから被葬者達の間に何らかの関係や申し合わせ等があったのではないかと考察している 。
 

薬師堂と富士塚

後円部頂に薬師如来を祀る薬師堂の社殿があり、北側にあった正福寺の薬師堂と伝えられている

また、その東側に高く盛土された富士塚がある

詳細は天王山塚古墳上 富士塚



▲南西の前方部の角
前方部頂への入口に
「天王山塚古墳」の碑と解説板
 


▲天王山塚古墳 全体図
青いエリアが残存している周溝
赤いエリアが本村1号古墳
緑のエリアが古墳上の富士塚
 

▲北側、「鎮守の森公園」駐車場から
左が後円部、右が前方部

「鎮守の森公園」には、この古墳を
模した前方後円墳が造られている
 

▲南側、後円部、薬師堂へ続く道

一般の会社の敷地内に
二本線が引かれ「入口」と
書かれている
 

▲北側のくびれ部

墳頂への入口
 

▲後円部北側の周溝跡

後円部墳頂の富士塚の
土の採取跡との説もある
 

▲後円部(くびれ部)から前方部

▲前方部から後円部を望む
前方部はかなり高く感じる
 


▲後円部頂の薬師堂
 


▲前方部南西角の入口の解説板
(昭和58年3月)
 


▲後円部墳頂の解説板
(平成26年2月16日)
別名 動山(どうやま)(大日本國誌 武蔵国)
天王山、瓢箪塚(ひょうたんづか)
菖蒲14-01古墳(久喜市遺跡地図)
所在地 埼玉県久喜市菖蒲町上栢間3284-1
(旧南埼玉郡菖蒲町字本村上栢間3284-1、2、32-85-8、3300)
所有者(管理者):神明神社・正法院
史跡指定 埼玉県指定史跡
 1931年(昭和6年)3月27日指定
埼玉県選定重要遺跡
 1976年(昭和51年)10月1日指定
アクセス
駐車場

久喜市(旧菖蒲町)の古墳地図
築造年代

6世紀後半

形状 前方後円墳 主軸:ほぼ東西
全長:107m
前方部高さ:約9m 前方部幅:約62m
後円部高さ:約10m 後円部径:約55m
周溝幅:20m
埋葬施設 横穴式石室(推定) 角閃石安山岩
出土遺物 円筒埴輪片、須恵器片
調査暦 1984年(昭和59年) 隣接する天王塚北遺跡の発掘調査で、古墳の周溝を確認
1988年(昭和63年) 天王山北遺跡調査(本村1号古墳天王山塚古墳周溝部分)
文献 埼玉県古墳詳細分布調査報告書
さいたま古墳めぐり古代ロマンの70基(さきたま双書)
埼玉の古墳 北足立・入間
埼玉県の歴史 (県史)
 

探検日(写真撮影日) 2019年02月18日
最新データ更新日 2019年02月21日



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