古墳の森TOP埼玉県の古墳久喜市(旧菖蒲町)の古墳久喜市(旧菖蒲町)の古墳地図


てんのうやまづかこふんじょう ふじづか
天王山塚古墳上 富士塚


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古墳上に築かれた富士塚

天王山塚古墳の後円部の上に盛土して作られた富士塚

古墳そのものを盛土、改変などして富士塚として転用することは多いが、大きな墳丘上に、さらに、新たな富士塚を築くのはかなり稀なケースと思われる


文政7年(1824年)または文政12年(1829年)
領主の内藤外記(ないとうげき)に仕えていた萩原久安が、病が治ることを願い、領主の許しを得て、浅間信仰のため、富士山を模し、築造した。
 

!混同注意!

天王山塚古墳と同じ栢間古墳群のグループに属する富士塚古墳(下栢間字陣屋2886)とは
全く別のものである

あちらが古墳時代の古墳を富士山に見立て、浅間信仰に利用したものであるのに対し、こちらは、古墳上に新たに築かれた江戸時代の塚である
 



▲後円部の薬師堂側(西)から
巨大古墳の墳丘上で、
木に覆われているので
目立たないが、かなり大きい
 


▲天王山塚古墳 全体図

東側後円部のやや東寄り、
緑のエリアが古墳上の富士塚
 

▲南側から
小山の前にいくつもの石碑がある
 

▲弘安5年(1282)銘の
板石塔婆(いたいしとうば)もある
所在地 埼玉県久喜市菖蒲町上栢間3284-1
天王山塚古墳 後円部上
アクセス
駐車場

久喜市(旧菖蒲町)の古墳地図
史跡指定  
築造年代

文政7年(1824年)、文政12年(1829年)

形状 富士塚
直径:約20m 高さ:6m
埋葬施設  
出土遺物  
調査暦  
文献 埼玉県古墳詳細分布調査報告書
さいたま古墳めぐり古代ロマンの70基(さきたま双書)
埼玉の古墳 北足立・入間
埼玉県の歴史 (県史)
 

探検日(写真撮影日) 2019年02月18日
最新データ更新日 2019年02月21日



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