【長く繋がる古墳群】さいたま市西部の入間川(鴨川)の流路の肥沃な農作地帯に
は古墳群が点在する。
北から植水古墳群、側ヶ谷戸古墳群、大久保古墳群などがあるが、かつて、大宮市、与野市、浦和市など、行政区が分かれていたため、別の古墳群として扱われたが、同一の古墳群と考えられているようである。
また、近年、中央区で発見された巽古墳群、その南に続く土合古墳群、白幡古墳群も、流路沿いにあり、これらも含めて、一大古墳群を形成していたのかもしれない。
【大久保古墳群】さいたま市桜区(←旧浦和市←旧大久保村)に分布
し、北部の白鍬地区のものを白鍬支群、南西部のものを大久保支群として分類する。
墳丘が残存している5基がさいたま市の史跡に指定されている。
消滅古墳含む9基が埼玉県選定重要遺跡となっている。
「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」では、白鍬支群14基、大久保支群15基の計29基の記載があるが、近年の調査で多くの古墳跡が確認されており、総数40基以上に上る。
【巽古墳群】
さいたま市中央区に近年になって発見された古墳群。
JR埼京線与野本町駅の西約250mにあり、1989年に縄文時代の遺跡発掘調査が行われた際、偶然古墳の周溝(巽1号墳)が発見され、古墳群の存在が明らかになった。
2001年には住宅建設に伴い、巽2号墳の調査が行われた。
北西に側ヶ谷戸古墳群、西側に大久保古墳群、南に土合古墳群があり、その間をつなぐ存在かもしれない。
【土合古墳群】
埼玉県さいたま市桜区中島、関、中央区鈴谷に所在する6世紀後半から7世紀前半ごろの古墳群。
近年の調査で発見された古墳跡も含め、6基の古墳が確認されている。
【白幡古墳群】
土合古墳群の南に続く古墳群。
1979年(昭和54年)、埼玉県立浦和商業高等学校の体育館建設工事に伴う白幡本宿遺跡(戦国時代の遺跡)の発掘調査で、古墳址4基(白幡1号墳〜4号墳)が発見され、初めて古墳群の存在が明らかにされた。
2008年までの調査で、8基の古墳跡が確認されている。
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