【土合古墳群】
土合(つちあい)古墳群は、埼玉県さいたま市桜区中島、関、中央区鈴谷に所在する6世紀後半から7世紀前半ごろの古墳群。
旧入間川流路沿いに点在する古墳群のひとつで、上流には植水古墳群、側ヶ谷戸古墳群、大久保古墳群などが続いている。
名前は旧の土合村に由来する。
「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」では、現存する本杢古墳、神明神社古墳、日向古墳の3基に加え、埴輪が出土したことから埴輪の存在が想定されていた本杢南(中島埴輪出土地)の4基が記載されている。
また、行政区をまたいでいるが、本杢古墳から200mほど北東の与野市(現在の中央区)で確認された古墳跡の今宮1号墳も同古墳群に含めるようで、「特別展
さいたまの古墳」には全5基の記載がある。
1993年(平成5年)、本杢古墳から150mほど南東の本杢遺跡第7地点の発掘調査で、埴輪片が出土しており、未発見の古墳の存在が推定されている。
2010年(平成22年)、本杢遺跡第12地点で、未発見の古墳の墳丘の一部と周溝が確認されたが、かつて「本杢南(中島埴輪出土地)」から出土した埴輪は、この古墳のものと思われるため、本杢南古墳とされた。
現在、埴輪出土地も含め、6基の古墳が確認されているが、本杢遺跡周辺には他にも未発見の古墳が眠っているものと推定される。
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▲南側より、本杢古墳
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【本杢古墳】
桜区中島に所在する、土合古墳群中の大久保支群中の1基で、古くから知られていた。
北と東が道路で削り取られているが、残存する墳丘は「中島本杢緑地」内に保存されている。
長く円墳と考えられていたが、1992年(平成4年)の発掘調査で一辺約20メートル、高さ4.5メートルの方墳であることが確認された。
埴輪が出土していないことから、埴輪の樹立がなくなった7世紀初頭以降の築造と推定される。
中央区になるが、200mほど北東の今宮1号墳も同時代の方墳であり、同一の古墳群とされている。
【本杢南古墳】
2010年(平成22年)、本杢古墳から150mほど南東の本杢遺跡第12地点で、集合住宅建設のために行われた発掘調査により、墳丘の一部と周溝が確認された。
1980年(昭和55年)、水道敷設工事中に円筒埴輪がまとまって出土した地点であり、古墳の存在が推定され、「本杢南」あるいは「中島埴輪出土地」と呼ばれていた場所である。
規模は直径30mほどと推定され、周溝から出土した7本の円筒埴輪から、6世紀初頭の築造と考えられる。
12地点で確認されたのは北東部であり、古墳は道路、埴輪出土地を挟んで、南側に続き、周溝が残存している可能性が指摘されていた。
2017年(平成29年)、12地点と道路を挟んだ南側の13地点で行われた発掘調査で、人物埴輪、馬形埴輪や円筒埴輪を伴う円墳が確認されており、これが本杢南古墳の南側部分と思われる。
13地点の調査報告書は入手していない(2022年現在、未刊行?)
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