【与野七福神弁財天と御嶽塚】
埼玉県さいたま市(旧与野市)に所在する古墳あるいは塚。
与野七福神の一つ、弁財天を祀り、墳頂には御嶽神社が鎮座する。
明治元年創建との説があり、それ以前は、別の社があったとも考えられる。
江戸末期から明治初期にかけて流行した木曽御嶽信仰により、古墳上にあった別の社から、御嶽社に変更され、御嶽塚に転用された可能性がある
。
なお、「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」では、古墳として記載されているが、さいたま市の遺跡地図には記載がなく、古墳とは考えられていないようである。
また、「さいたま市の塚調査報告」では、「本町西・御嶽社塚」という名称で記載されている。
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▲墳丘が比較的にきれいに
残っている
「御嶽」は「みたけ」とも読めるが
木曽御嶽信仰なので
「おんたけ」と読むとのこと
(以前、当方では、別ソースからの
情報を得て「みたけ」としていたが
「おんたけ」と修正した)
山岳信仰の塚にしては、墳丘が
なだらかで低い気がするが…… |
【山岳信仰が盛んな土地?】周辺の残存する古墳は全て山岳信仰に関係している
。
・御嶽社塚(古墳)、
・大国社塚(古墳)、
・与野公園 富士塚(古墳とされてはいないが、古墳の可能性がある)
・八王子の富士塚(古墳)、
しかし、北西に側ヶ谷戸古墳群、西側に大久保古墳群、南に巽古墳群、土合古墳群と古墳群に囲まれているので、発掘調査が行われるまでは、古墳である可能性も捨てきれない。
多くの古墳が墳丘を失っている中で、現在、残存している墳丘は江戸時代から流行した山岳信仰の塚として信仰の対象になったからこそ、現在まで残された
という可能性もある。 |