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おりひめやまていじがたこふんあと / はたがみやまこふんぐん
織姫山丁字形古墳跡 / 機神山古墳群

※写真は全てクリックで拡大します※


大変稀な丁字型の石室

織姫神社のある機神山から両崖山にかけて存在する機神山古墳群中の一基 。

昭和11年の織姫神社の石垣築造工事中に偶然、発見され発掘調査された。

全国的にも大変珍しい「丁字形」の石室たったが、調査後、そのまま工事は進み、一部は石垣内に埋没した。

石室があった場所の石垣に石碑がひっそりと埋め込まれている。


丁字形石室の一部は残存

各種資料では、この古墳は石垣の下に埋没して消滅となっており、「探訪 とちぎの古墳」でも「織姫神社境内古墳 ・湮滅」となっている。

しかし、実際に現地を訪れると、墳丘が埋もれた石垣に古墳の碑があり、その下の石垣から、石室の石材と思われる不自然な石の列が飛び出しているのを確認した。

碑の内容を良く読んでみると『一部ハ〜石垣下ニ埋メとの文字があり、埋めたのは《一部》で全てを石垣下に埋めたのではなく、一部は残存しているはずである 。

碑の下の石が並ぶ様子は、碑にある丁字型石室の記述『玄室ヲ南北ニ前室ヲ東方ニ開キ』に合致している 。

横穴式石室の玄室は南北に向き、通常なら玄室の南側に続くはずの前室が、玄室の東壁から、東に向かって伸びている。

「丁」の字を左に90度倒した形、「├」、カタカナの「ト」に近い形であると推測できる。

「丁」の上の横棒の右側が北にあり、石垣の内部に埋もれ、石垣にかからなかった南側のみ「L」字の右倒しした状態で残存している 。

後日、それが分かるように、その上部の石垣に碑を残したようだ。

(後、足利市教育委員会に、古墳は湮滅ではなく、石室跡が残存していることを確認した)

足利出身の丸山瓦全氏

考古学者、郷土史家の丸山瓦全氏は文化財の調査、保存などに尽力したことで知られ、足利の古墳の調査をし、「足利市郡古墳調査誌」などをまとめた人物。

この古墳の発見時、中央に調査を依頼するなど、古墳の調査にも尽力したと伝えられているようだ。

後のために、この碑を残すことにも氏が関与していたのだろうか。


碑の建立者の思い

戦前の1936年(昭和11年)、今から80年以上も前、古墳が破壊され、埋もれ行く のをとめることが出来ず、せめて、その存在を後世に伝えるべく、 消失しやすい紙や木ではなく、石の碑にして残した人々。

以テ後日ノ参攷トナス」と 記した建立者達に思いをはせるとかなり切ない。

織姫神社


▲織姫神社

元は小さかった神社を拡張する際、斜面を平らにするため、盛土をし土留めの石垣を築造しようとして、古墳が発見されたという。


▲織姫神社境内から南側の風景

古墳の墳頂と推定される場所
からは市内を一望できる。

古墳の被葬者もこうして支配地を
見渡していたのかもしれない。



▲一番上の織姫神社の社殿から、
二段下がった東側の石垣

木の前にも石材らしき大きな石

機神山山頂古墳機神山17号
石室と同じ石のように見える



▲古墳の碑

石垣に埋め込まれているが
木の後ろになっている上に、
石垣と同じ色で目立たない
ので、普通に目の前を歩い
たら見逃す可能性が大

▲丁字型石室の跡 南側から

碑の真下の石垣から南に向かい
二列の石組みが並んでいる

碑の『玄室ヲ南北ニ』の記述から
玄室の壁の一部と推測される


▲丁字型石室の跡 東側から

石垣とは明らかに違う石材が、
石垣に組み込まれ、不自然に
壁から外に突き出ている
格好になっている

▲上の段(北側から)

南に向かって、二列の石組み。
ここが玄室の真上のようである。


▲西側から、前室の壁の一部?

石垣に沿い、東に向かって
石の列が続いている。


▲東側から

石垣から南に二列の石並びと
東に向かって伸びる石の列

古墳の碑は、南に延びる二列の
石の間(玄室)の真上にある


▲丁字型石室推測図

左の写真の石組みを赤線で強調

右上の推測図の黒い線が石垣で、
その北側が埋没、南側が石垣から
突き出す格好で残存している



織姫山丁字形古墳跡

 織姫山一帯ハ上代人墳墓ノ地タリシカ如ク(□□?)
其ノ発見ヲ伝フ本古墳亦其ノ一タリ
 本年九月本石垣築造工事中偶然其ノ一部ヲ発見
シ成規ノ手続ヲ了ヘ帝室博物館監査官後藤守一氏
等ノ臨地ヲ求メテ是ヲ発掘調査セリ石室ガ横穴式
ニシテ玄室ヲ南北ニ前室ヲ東方ニ開キシ丁字形ナ
ルハ稀観ノモノト云フベク底面小割石ノ上ニ白色
小砂ヲ敷キ人骨二体分及ビ副葬品金鐶銅鐶大刀身 
鉄鏃ヲ発見シ又封土中ヨリ靭鞆等ノ埴輪ヲ獲タリ
 今工事ノ関係上一部ハ(崔?)態ノ如ク石垣下ニ埋メ
発見(ノ概?)要ノ記を以テ後日ノ参攷トナス
  昭和十一年十月


不明瞭な字を文脈から補完しながら、適当に訳してみると……

 織姫山一体は古代人の墳墓の地であるかのような○○で、その発見を伝えられる本古墳も、その一つである
 本年9月、石垣築造工事中、偶然、その一部を発見し、正規の手続きにより帝室博物館監査官の後藤守一氏らの臨地を求めて、これを発掘調査した
 石室は横穴式で、玄室を南北に、前室を東方に開いた丁字型であることは 極めて稀ある
 底面の小割石の上に白色小砂を敷き、人骨二体分及び副葬品の金鐶銅鐶、大刀身、鉄鏃を発見し、また、封土中より靭鞆等 の埴輪が発見された
 今工事の関係上、一部は○○のごとく、石垣の下に埋め、発見の概要の記を以って、後日の参考とする 

昭和11年10月

所在地 栃木県足利市西宮町3889
織姫神社境内
アクセス
駐車場

東側正面の『織姫観光駐車場』より、山側にある『織姫駐車場』の方が石段を登らずに済むので楽
足利市の古墳地図
別名 織姫神社境内古墳 (行基平古墳群?)
機神山古墳群10号墳?
築造年代 古墳時代後期後半
形状 円墳?
埋葬施設 横穴式石室(T字
玄室と前室の複室構造
出土遺物 【石室内】人骨二体分、金、銅、大刀身、鉄鏃
【墳丘より】靭鞆等の埴輪
周辺施設 不明
発掘調査 1936年(昭和11年)
帝室博物館監査官後藤守一氏等
参考文献 探訪 とちぎの古墳では「織姫神社境内古墳 ・湮滅」となっている  

探検日(写真撮影日)  2018年11月19日
データ作成日  2018年12月02日

最新データ更新日
  2018年12月02日
ブログ版・『古墳の森』探検日誌

【参考文献】
探訪 とちぎの古墳
下野の古墳 (1977年) (しもつけ文庫〈4〉)
海老塚古墳 (1981年) (足利市埋蔵文化財報告〈第2集〉)
明神山古墳群 (1985年) (足利市埋蔵文化財報告〈第12集〉)



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