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栃木県の探検古墳一覧


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栃木県指定史跡 国分寺愛宕塚古墳 / 国分古墳群
 

※写真は全てクリックで拡大します※


国分古墳群中の一基

近隣に所在する山王塚古墳丸塚古墳と共に国分古墳群を形成する中心的な存在だったと考えられる 。
 


▲国分古墳群分布図(現存4基)



▲周辺の古墳分布図
 

国分寺愛宕塚古墳山王塚古墳丸塚古墳の3古墳の周辺には円墳を示すと思われる多くのがあり、国分古墳群を構成していたものと思われる が、現存するものはほとんど確認できない。
 

しもつけ古墳群中の一基

また、この地方の特有の下野型古墳の特徴を持ち、1kmほど北の吾妻古墳に続いて造られたしもつけ古墳群を構成する一基とされる
 


しもつけ古墳群とは〜

栃木南部(下野市、栃木市、
小山市、上三川町、壬生町)で
6〜7世紀の間に作られた
この地域に共通する特徴
(下記の下野型古墳の3要素)を
持つ大型古墳・有力首長墓
(6〜7系譜の古墳群)の総称

下野型古墳の3要素とは〜

(1)墳丘の第1段目に幅広の
「基壇」を持つこと

(2)前方部に石室を持ち、
後円部には内部主体を設けない

(2)凝灰岩切石を用いた
横穴式石室
 


 


〜近隣の大古墳の築造順序〜

摩利支天塚古墳

琵琶塚古墳

吾妻古墳

甲塚古墳

国分寺愛宕塚古墳

山王塚古墳

丸塚古墳

墳丘長もこの順通りで下へ
いくほど小さくなっていく
 




▲愛宕神社の入口に
「史跡 愛宕塚古墳」の碑
 


▲愛宕神社の向こう側に墳丘
左が前方部、右が後方部
 

▲南側から前方部

墳丘一段目(基壇)の上に
乗っている墳丘二段目

▲後円部頂

埴輪を置かなくなり、須恵器を
 置くようになった頃の築造で
墳頂に複数の甕が置かれて
いたようで、須恵器の甕の
破片が数多く出土している
 

▲くびれ部南側には社と階段

「とちぎの文化財」によると、
前方部南側のくびれ部寄りに
横穴式石室(未調査)があり、
凝灰岩の天井石が一部露出
とあったが、見当たらなかった

下の2005年訪問時の解説板にも
「埋葬施設の一部がくびれ部
付近に認められる」とあるが、
その時点でも確認できていない

他の古墳ファンのサイトでも、
確認できたという情報はないので、
それ以前には露出していたのか

下野型古墳の特徴である
大きな切石一枚を使用した
横穴式石室だったようである


▲第一回訪問時(2005年)の
時にあった解説板
 

▲古墳名の由来の愛宕神社

史跡名は「愛宕塚古墳」だが、
愛宕塚とつく古墳は多いので、
前に「国分寺」とつけて
区別することがある


下野型古墳特有の第一段目の
広い基壇上に鎮座している



▲愛宕塚古墳測量図

現状は墳丘南側が
愛宕神社により、かなり
削られているのが分かる

▲第二回訪問時(2019年)
愛宕神社の前の解説板
下野市教育委員会による

2012年度(平成24年度)の
調査のことも書かれている
ので、それ以降のもの
 

▲愛宕神社入口にある
愛宕塚古墳の解説板
栃木県教育委員会と
国分町教育委員会による

下野市発足以前の古いものか
所在地 栃木県下野市国分寺1379-1
所有者:愛宕神社
アクセス
駐車場
 
史跡指定 栃木県指定史跡 「愛宕塚古墳」
1978年(昭和53年)9月8日指定
別名 愛宕神社古墳
築造年代 6世紀末
形状 前方後円墳(2段築成)(下野型古墳)
全長(周溝含む):98.5m
墳丘第一段長:79.5m 前方部幅:62m
墳丘第二段長:44.5m 前方部幅:22m
後円部径(復元):55m 
埋葬施設 横穴式石室(推定)
前方部くびれ部
出土遺物 須恵器器台・ハソウ 1928年(昭和3年)の社殿改築
須恵器甕 2012年度(平成24年度)調査
周辺施設 葺石、埴輪列なし
調査暦 2012年度(平成24年度) 測量調査・確認調査
文献    

第一回探検日(写真撮影日) 2005年07月23日
第二回探検日(写真撮影日) 2019年04月05日
最新データ更新日 2019年04月28日

【参考文献】
探訪 とちぎの古墳
下野の古墳 (1977年) (しもつけ文庫〈4〉)
海老塚古墳 (1981年) (足利市埋蔵文化財報告〈第2集〉)
明神山古墳群 (1985年) (足利市埋蔵文化財報告〈第12集〉)



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