【車塚古墳群の一基】
東隣に並ぶ牛塚古墳と共に国の史跡に指定されている。
牛塚古墳と共に車塚古墳群の中心的存在と思われる。
北側には、先行して作られた小古墳群が存在していた。
また、南40mに、愛宕塚古墳群が近接するが、近年、両古墳群の間に川原石で造られた古墳が存在していたことが確認され、黒川東岸の台地上に築かれた同一の古墳群と考えられる
。
愛宕塚古墳、牛塚古墳の後に造られたものと思われる。
▲車塚古墳群全体図
【下野型古墳】
墳丘第一段目には幅広い平坦面(基壇)を持つなど、この地方の特有の下野型古墳の特徴を持つしもつけ古墳群を形成する一基とされる
。
〜しもつけ古墳群とは〜
栃木南部(下野市、栃木市、
小山市、上三川町、壬生町)で
6〜7世紀の間に作られた
この地域に共通する特徴
(下記の下野型古墳の3要素)を
持つ大型古墳・有力首長墓
(6〜7系譜の古墳群)の総称
〜下野型古墳の3要素とは〜
(1)墳丘の第1段目に幅広の
「基壇」を持つこと
(2)前方部に石室を持ち、
後円部には内部主体を設けない
(2)凝灰岩切石を用いた
横穴式石室
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【寺院関連の施設が建てられていた】
この古墳に隣接して鎌倉時代、以降に寺院が建築され、その関連施設が前庭部に造られていたため大きく破壊を受けていたとのこと。
羨道も破壊されており、石室にも掘り込み跡などが残っている。
【須恵器の配列は全国初】
国分寺愛宕塚古墳と同様、埴輪がなくなり、須恵器を置くようになった頃の築造で
、2014年の調査では、周堤の部分に須恵器が配列されていたのが確認され、全国で初の例だという
【古墳の名称について】
隣の牛塚古墳が横から見ると、牛が寝ているようにみえるからという説があるので、こちらは上から見て車輪のようだからか?
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