【車塚古墳群の一基】
東隣に並ぶ車塚古墳と共に国の史跡に指定されている
車塚古墳と共に車塚古墳群の中心的存在と思われる
北側には、先行して作られた小古墳群が存在していた。
また、南40mに、愛宕塚古墳群が近接するが、近年、両古墳群の間に川原石で造られた古墳が存在していたことが確認され、黒川東岸の台地上に築かれた同一の古墳群と考えられる
愛宕塚古墳の後、車塚古墳に先行して造られたものと思われる
▲車塚古墳群全体図
帆立貝型でも、桑57号墳のように円墳中心で、小さな基壇をつけたタイプのものではなく、前方後円墳の前方部が未発達で短いタイプのもの
。
また、埋葬施設は未調査ながら、墳丘第一段目には幅広い平坦面(基壇)を持つなど、この地方の特有の下野型古墳の特徴を持つしもつけ古墳群を形成する一基とされる
〜しもつけ古墳群とは〜
栃木南部(下野市、栃木市、
小山市、上三川町、壬生町)で
6〜7世紀の間に作られた
この地域に共通する特徴
(下記の下野型古墳の3要素)を
持つ大型古墳・有力首長墓
(6〜7系譜の古墳群)の総称
〜下野型古墳の3要素とは〜
(1)墳丘の第1段目に幅広の
「基壇」を持つこと
(2)前方部に石室を持ち、
後円部には内部主体を設けない
(2)凝灰岩切石を用いた
横穴式石室
|
【古墳の名称について】 横から見ると、牛が寝ているようにみえるからという説がある
。
とすれば、隣の車塚古墳は上から見て車輪のようだからか?
|
▲左(南)側が前方部
右(北)側が後円部
墳形は前方部が短くて
前端が広がらない形状
|
▲後円部
調査の結果、周溝は中央付近が
さらに深く掘り下げられる
二段掘りになる特異な形状と
判明したが、隣の車塚古墳とは
違い、周溝はほとんど埋もれて
しまっており確認できない
|