【鹿古墳群中の一基】
鹿古墳群は天神山古墳を
中心に12基以上の古墳で構成されていたが、畑地開墾と明治39年
(1906年)の神社合併令に基づいて、古墳頂に奉札の神社(七社)を合祀して、1911年(明治44年)鹿神社に合祀することとなり(その際に鹿神社と改称)古墳は破壊され、現存するのは4基のみとなっている
【失われた横穴式石室】
1912年(大正元年)頃、横穴式石室が掘り出され、瓶の破片と刀剣の金具が出土したとされている。
石室材はその時に売却されてしまったとのこと。
【古墳名は「円墳」?】
史跡としての登録名はなぜかただの「円墳」となっている
八幡宮古墳前にある鹿古墳群の解説板では「町指定 円墳」が2基あり、庚申塚古墳と鹿神社古墳のことと思われるが、真岡市の「指定史跡一覧」では1基しかない
古墳前の碑の内容と「史跡一覧」の内容が一致しており、また、以前の鹿古墳群の解説板には庚申塚古墳のみ「町指定 円墳」となっていたので、「史跡一覧」の古墳はこの庚申塚古墳と思われる
所在地は「鹿956」となっているがここは鹿との境で「阿部品」になるようで、以前は「鹿」に含まれていたのか
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