【鹿古墳群中の一基】
鹿古墳群は天神山古墳を
中心に12基以上の古墳で構成されていたが、畑地開墾と明治39年
(1906年)の神社合併令に基づいて、古墳頂に奉札の神社(七社)を合祀して、1911年(明治44年)鹿神社に合祀することとなり(その際に鹿神社と改称)古墳は破壊され、現存するのは4基のみとなっている
【古墳名は「円墳」?】
八幡宮古墳前にある鹿古墳群の解説板では「町指定 円墳」が2基あり、庚申塚古墳と鹿神社古墳のことと思われるが、真岡市の「指定史跡一覧」では1基しかない
庚申塚古墳の前の碑の内容と「史跡一覧」の内容が一致しており、また、以前の鹿古墳群の解説板に庚申塚古墳のみ「町指定 円墳」となっており、こちらは「鹿神社」となっていたので、「史跡一覧」の古墳は庚申塚古墳と思われる
こちらは後から町史跡となって、解説板を「町指定」に修正したのか?
そうだとしても「史跡一覧」に掲載されていないのは不思議である
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▲東側道路から
周囲はビニールハウスや
民家に囲まれており、勝手に
入るわけにもいかないので、
近づけなかった
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▲鹿神社と道路を挟んで東側に
ある神社?
ここには古墳石材のような
ものが祀られているとのこと墳丘らしきものは見えないが、
ここも古墳だったのか、
周囲の破壊された古墳の
石材を祀っているのか
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