【墳丘の残存は群中では稀少】
飯塚古墳群は栃木県最大級の前方後円墳・摩利支天塚古墳や琵琶塚古墳の西に隣接する100基を超える群集墳。
飯塚古墳群中の大半の古墳が墳丘部を失っている中で、高い墳丘が残存する数少ない古墳であるが、墳丘の残存状態は右の測量図の通り、良くはない
。
【所有者の厚意で削平を免れた】
この古墳も、同時に調査された他の古墳(飯塚古墳群 参照)と共に削平される予定だったが、群中における希少な墳丘残存例ということから、所有者が墳丘の保存を快諾してくれたとのこと
そのため、墳丘部の調査は残丘に及んでいない(右図参照)
(調査は削平される古墳の記録保存が目的だったため)
内部主体はくびれ部にあるが、残丘部は円丘部の中心部であるので、調査していれば、何か出てきたかもしれない
【帆立貝式の古墳】
帆立貝式の古墳には円墳中心で小さな基壇をつけたものと、前方後円墳の前方部が極端に短いものの2種類あるが、これは、前方後円墳というより3kmほど南東にある同じ小山市の桑57号墳と同様、円墳に基壇をつけたタイプと同様の帆立貝式古墳のように見える
。
【内部主体は家型木棺】
上の測量図の■の部分後円部、くびれ部に接する
家型木棺が想定されるとのこと
盗掘はされておらず、ほとんど埋葬時と同じような配置状態で多数の副葬品が出土した
また、墳丘全てを巡っていた大量の埴輪も出土しているうち6点は小山市の文化財に指定された(右の写真)
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