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         くわ57ごうこふん / おやまごるふくらぶないこふんぐん
小山市指定史跡 桑57号古墳 / 小山ゴルフクラブ内古墳群
 

※写真は全てクリックで拡大します※


喜沢古墳群の主墳

小山ゴルフクラブ内古墳群とは、小山市桑地区の最南端に位置する喜沢古墳群の一部で、小山ゴルフクラブ内に現存する5基が、小山市史跡に指定された

「桑57号」は1940年(昭和15年)の下都賀郡下の古墳調査が行われた際の番号であり、
桑村の古墳の一貫番号で他に固有の名称がない
 

発掘されるまでの経緯

1940年の古墳調査の際に、喜沢には桑50号〜60号までの6基の古墳が記録されている

戦時中の1944年、陸軍により墳丘を横断する大きな溝(砲弾庫)が造られた際、直刀が発見されているが緊迫した状況下で、古墳で
ある記憶は薄れてしまったとのことである

1970年、小山ゴルフクラブでは古墳とは知らずに採土しようとブルドーザーを入れた
(工事前には事前調査が必要)

墳丘が少し崩されたところで、小山市教育委員会により工事がストップされ、古墳である
ことを知らされたゴルフクラブの費用負担など全面的な協力の下、調査が行われることになった
 

被葬者は女性

割竹形木棺を納めたと思われる墓坑内から、30代女性のものとみられる歯や銅鏡3面、玉類、金銅製冠、銅鈴、蛇行剣を含む刀剣類など多くの副葬品が出土

一人分の歯しか見つからず、夫など親族と共に葬られたのではなく、追葬などもなく、被葬者は単独で葬られたようである

この女性のためだけに、古墳群で最も大きな墳丘が築かれ多くの希少な副葬品が収められたことを考えると、相当力を持った首長だったのだろうか

しもつけ古墳群の成立を考える上でも重要な古墳。
 



▲北西側から

県道18号沿いにあり、道路からも
古墳群全体の解説板が見える
 


▲墳丘の北西側

57号墳のみの解説板と碑
が建てられている

▲北西側から
桑41号墳の前から
 


復元された帆立貝の墳丘

帆立貝式古墳には、円墳に基壇をつけたタイプのものと前方後円墳の前方部が短いものと2つのタイプがあるが、この桑57号は 前者で、主体部は円丘の中心にあり、小さな基壇が申し訳程度に付け足されている。

北側と東側に、大きく内側に線が食い込んでいるが、これが採土のために、ブルドーザーで削られた跡のようである。

幸い、主体部には届いていないが、
それ以前に、陸軍が墳丘を横断する溝を掘った際、主体部の南を通っており、主体部の南側は失われて墳丘は崩されていた。

その際に、発見された直刀は被葬者の足側に置かれていた副葬品のようであり、実際は他にも遺物が出土していたのかもしれない

現在、墳丘はきれいに復元されている


▲桑57号墳 墳丘復元図
 


▲57号墳のみの解説板
 

桑57号墳前にある
小山ゴルフクラブ内古墳群の解説板

小山市教育委員会による
 
所在地 栃木県小山市大字喜沢1076
(大字喜沢字日光道西1095)
所有者:小山カントリー倶楽部
アクセス
駐車場
 
ゴルフクラブ内であるがコース外なので見学できる(プレイヤーの邪魔にならないように注意のこと!!)
史跡指定 小山市指定史跡 「小山ゴルフクラブ内古墳群」
 1983年(昭和58年)2月1日指定
小山市指定有形文化財(考古)「桑57号墳 出土品」
 1978年(昭和53年)5月1日指定
築造年代 五世紀後半
形状 帆立貝式古墳
全長:約35m 高さ:約4.7m
埋葬施設 円丘部、木棺直葬 (割竹形木棺)
出土遺物 【墓坑】女性の歯
銅鏡3面、玉類、金銅製冠、銅鈴、蛇行剣を含む刀剣類などの副葬品 38点が文化財に指定
【墳丘】埴輪
周辺施設 葺石、埴輪列
文献 栃木県小山市喜沢小山カントリー倶楽部内桑57号墳発掘調査報告 1972年(昭和47年)  

探検日(写真撮影日) 2019年04月05日
データ作成日 2019年04月07日
最新データ更新日 2019年04月12日

調査暦 1971年〜1972年(昭和46〜47年) 発掘    
【参考文献】
探訪 とちぎの古墳
下野の古墳 (1977年) (しもつけ文庫〈4〉)
海老塚古墳 (1981年) (足利市埋蔵文化財報告〈第2集〉)
明神山古墳群 (1985年) (足利市埋蔵文化財報告〈第12集〉)



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