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栃木県指定文化財(考古資料) 石棺 伝桃塚古墳出土 / 千駄塚古墳群
 

※写真は全てクリックで拡大します※


刳りぬき式の家型石棺

現在、千駄塚古墳の北側に安置されているが、千駄塚古墳から出土したものではなく、近くの桃塚から発掘され、現在地に移されたということである

凝灰岩を刳りぬいた家型石棺は県内では数少なく貴重である

しかも、大きさはかなり小さく、当時の有力者の小児を葬ったと考えられており、その点でも稀少なものである
 

由来を記す石碑

写真(右)の石碑(南面)によると、1901年(明治34年)、小火石444の稲桃塚から、地元民一同で3日間かけて発掘し、1915年(大正4年)に3日間かけてこの地に運搬したとのこと

石碑(北面)には、石棺1個と石12個が浅間前372番の土地(千駄塚古墳の周堤部分であり、現在、石棺が置かれている場所)と共に寄贈されたことが記されている

寄贈者は、桃塚古墳から千駄塚古墳の周堤の土地まで所有する大地主だったのか?


石棺出土地の謎

小山市史によると、石棺が出土したのは小火石2号墳とのことで、小火石2号墳桃塚と考えられているようだ

しかし、小山市文化財調査報告書「牧ノ内II」によると、石碑に記されている「字小火石444」は小火石2号墳の位置(444-2)とはずれており、石棺が出土したのは別の古墳であるとしている

発掘されてから、場所を移されるまで14年、石碑が建立されるまでは36年もあるので、正確な位置や情報が錯綜した可能性もあり、正確な古墳位置は不明である


▲「牧ノ内II」を参考に作成した
千駄塚古墳群の分布図
 

ちなみに文化財としての登録名は「石棺」のみとなっており、古墳名はついていない
 



千駄塚古墳の北側の周堤部分

石棺のみ屋根で保護されている
 


▲石棺の前にある解説板
間々田商工会
小山歴史研究会による
 

▲1937年(昭和 12年)、地元千駄塚
の人達により建立された石碑

碑文 北面
一 土地浅間前三七二番山林二拾六歩
一 石棺 一個
一 石 十二個

大正四年四月廿二日 寄贈者○○
※プライバシー保護の観点から
寄贈者名は伏せておく

碑文 南面
此ノ石棺ハ明治三十四年字小
火石四四四番俗稲桃塚ヨリ大字
一同三日間ヲ要シテ発掘シ大正
四年四月大字一同三日間ニテ此所
ニ運搬ス
昭和十二年十二月廿五日大字千駄塚一同

▲左:石棺 右:蓋(半分?)

見た目はかなり小さく、
子供のものと思うと切ない
 

屋根型の棺蓋には
千木
を思わせる突起がある

(※1)千木(ちぎ)…神社の本殿等で
棟の上に置かれるX形の木
 

▲横穴式石室の石材と思われる石

石棺と一緒に12個の石が運ばれ、
寄贈されたというが、現在、
どう見ても12個はない

長い間に一部散逸してしまったのか
 

▲天井石か?かなり大き目の石

石棺を入れるため、結構な大きさの
横穴式石室だったと想定できる
所在地 栃木県小山市大字千駄塚字小火石444 (出土地)
栃木県小山市大字千駄塚372 (現在地)
所有者:浅間神社
アクセス
駐車場

現在は千駄塚古墳の脇に移設されている
別名 稲桃塚?、小火石2号墳?
史跡指定 栃木県指定有形文化財(考古・歴史資料) 「石棺」
1957年(昭和32年)6月30日指定
築造年代 6〜7世紀(棺蓋の形状から)
形状 外側は高さ60cm、幅100cm、長さ200cm、くりぬき部の長さは109cm、幅51cm、深さ53cmあります。
埋葬施設 横穴式石室
刳りぬき式の家型石棺
外側高さ:60cm、幅:100cm、長さ:200cm、
くりぬき部長さ:109cm 幅:51cm 深さ:53cm
出土遺物 不明
周辺施設 不明  

探検日(写真撮影日) 2019年04月05日
データ作成日 2019年04月09日
最新データ更新日 2019年04月09日

【参考文献】
探訪 とちぎの古墳
下野の古墳 (1977年) (しもつけ文庫〈4〉)
海老塚古墳 (1981年) (足利市埋蔵文化財報告〈第2集〉)
明神山古墳群 (1985年) (足利市埋蔵文化財報告〈第12集〉)



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