【間々田地区の大古墳群の中心】
思川の東側の台地上にあり、東日本最大級の大形円墳で、関東有数の大きさを誇り、県指定史跡となっている
千駄塚古墳群の主墳であり、北に宮内古墳群、南に牧ノ内古墳群を従え、この3つの古墳群から形成される間々田地区の一大古墳群の中心的存在である
なお、千駄塚古墳群を含む千駄塚浅間遺跡は寒川郡衛の推定地と考えられている
思川の西側には寒川古墳群が存在し、同じく県指定史跡の毘沙門山古墳が現存している
【古墳北側に石材と石棺】
千駄塚古墳の北側の周堤部分に石材と石棺が安置されているがこの千駄塚古墳のものではない
近くの桃塚古墳から出土し、この場所に運ばれたという由来を記した石碑も残っている
→詳細は伝桃塚古墳出土石棺
この千駄塚の埋葬施設は未調査で不明である
【千駄塚の名の由来】 この地には、千駄塚の名の由来となったと思われる
民話が残っている
毎朝鳴く掛け軸のニワトリをめぐり、千駄(千頭の馬)の荷をかけて、長者と商人が賭けをする話で、商人にまんまと騙された長者が千駄の荷を積んで造ったのがこの『千駄塚』ということである
「まんが日本昔ばなし」の第568話「千駄塚」に長者がかわらけで作った塚として登場している
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