【四十八塚古墳群】
四十八塚古墳群は旗川の西側の台地上に築かれた古墳時代後期の群集墳。
「四十八塚」の名の由来の通り、かつては広範囲に多数の古墳が存在していたが、昭和20年代後半に行われた土地改良事業により多くの古墳が失われた。
2000年度(平成12年)の佐野市遺跡地図には、おそらくその時点で墳丘の確認ができた8基が掲載されている。
他にも、耕作などにより盛り土や、石室の上部を失い、周溝や石室の下部のみが地表下に埋もれている古墳が多数存在すると考えられる。
また中世の墓域としても利用されていたようで、室町から戦国時代にかけての多数の墓も発見されている。
【四十八塚A号墳(仮)】
2000年度(平成12年)の佐野市遺跡地図に記載されている8基のうちの1基で、最も南に位置し、固有名称が不明なので、仮に「A号墳」とした。(右の分布図のA地点)
詳細な資料がないので、確定はできないが、四十八塚古墳群の通番で「1号墳」とされる古墳ではないかと思われる。
古墳群中の多くの古墳が消滅したが、この古墳は幸いにも削平されることなく、墳丘の周囲は耕作により削られているものの、横穴式石室部分は残存している。
10m程度の小規模な墳丘が多い群集墳の中で、この古墳も小規模なものだったと思われる。
調査暦は確認できなかった。
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