【四十八塚古墳群】
四十八塚古墳群は旗川の西側の台地上に築かれた古墳時代後期の群集墳。
「四十八塚」の名の由来の通り、かつては広範囲に多数の古墳が存在していたが、昭和20年代後半に行われた土地改良事業により多くの古墳が失われた。
2000年度(平成12年)の佐野市遺跡地図には、おそらくその時点で墳丘の確認ができた8基が掲載されている。
他にも、耕作などにより盛り土や、石室の上部を失い、周溝や石室の下部のみが地表下に埋もれている古墳が多数存在すると考えられる。
【四十八塚D号墳(仮)】
2000年度(平成12年)の佐野市遺跡地図に記載されている8基のうちの1基で、固有名称が不明なので、仮に「F号墳」とした。(右の分布図のF地点)
詳細な資料がないので、四十八塚古墳群の通番は不明である。
10m程度の小規模な墳丘が多い群集墳で、この古墳も小規模なものだったと思われる。
調査暦は確認できなかった。
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▲東側から
農地の中央にぽつんと所在する
墳丘は葺石のような小さ目の丸い河原石で覆われており、一見、積石塚か、不要物の集積のようにも見えるが、石の下には墳丘らしき土盛りが見えている。
耕作に邪魔な石を取り除いて、一箇所に積み上げたとも考えられるが、農地のすみっこではなく、ど真ん中に積むのは不自然であるし、下には土の小山があり、明らかに、この場所を避けて耕作しているように見える。
また、今から50年近く前の、1975年頃の空中写真でも、同じ位置に墳丘らしきものがあるので、ここが、F号墳(仮)で間違いないと思われる。
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▲石の下には土盛り
横穴式石室の石材のような
大きい石灰岩は見当たらない
南側が若干低くなっているので、
石室が崩落、陥没し、土の中に
埋もれている可能性もある
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