【四十八塚古墳群】
四十八塚古墳群は旗川の西側の台地上に築かれた古墳時代後期の群集墳。
「四十八塚」の名の由来の通り、かつては広範囲に多数の古墳が存在していたが、昭和20年代後半に行われた土地改良事業により多くの古墳が失われた。
1975年頃の空中写真では、古墳群の北部、現在の出流原PA所在地に数基の古墳らしきものが確認できたが、その後に失われたようだ。
2000年度(平成12年)の佐野市遺跡地図には、おそらくその時点で墳丘の確認ができた8基が掲載されている。
他にも、耕作などにより盛り土や、石室の上部を失い、周溝や石室の下部のみが地表下に埋もれている古墳が多数存在すると考えられる。
また中世の墓域としても利用されていたようで、室町から戦国時代にかけての多数の墓も発見されている。
【発掘調査】
2005年(平成17年)〜2007年度(平成19年)、北関東自動車道の建設に先立ち、出流原パーキングエリアの建設予定地が発掘調査されたが、そこでは埋もれていた16基の古墳が確認されている。
四十八塚古墳群の横穴式石室は石灰岩が用いられているため、人骨の残存状態が良く、一つの石室に複数の人骨が確認され、追葬が行われていたことが判明している。
20〜30mクラスの古墳が4基あったが、古墳は数時期に渡って築造され、大きく、埴輪を持つものから、埴輪を持たない小規模のものにシフトしていったようである。
また、2019年(令和元年)度、上記の南側の農地で、新たな発掘調査が開始された。(佐野市より栃木県に依頼したものらしい)
訪問時、ちょうど発掘調査の最中であったため、調査終了後の報告書が入手できれば、追記する。
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