【古墳 or 塚?】植下町の赤城神社の北側に所在する
佐野市教育委員会発行の佐野市遺跡地図(右図参照)に遺跡番号298「四ツ塚古墳群」とあり、古墳を示す4つの●がある。
しかし、赤城神社の方は古墳ではく、「塚」と言い、説明板にも「塚」と書かれている。
「古墳」を後に「塚」として利用する場合も多々あるので、この古墳もそうなのか、初めから塚だったのか。
遺跡地図には古墳群とあるので、ここでは古墳と考える
【藤原秀郷公 or 日本武命】
解説板によると、平将門を討ち、佐野氏の祖となった藤原秀郷公が凱旋した時の武具が納められたと言い伝えられている
そこから、4つのマウンドに「白幡山」「具足山」「差物山」「幕山」の名がついているらしい
ちなみに藤原秀郷公の墳墓は新吉水町の東明寺古墳と伝えられている
また、一説には、赤城神社のご祭神日本武命が東征の帰途に一夜、この地に滞在したという
ちなみに、藤原秀郷公が平将門を討ったのは西暦940年、日本武命は景行天皇43年(西暦113年)に没したとされている
ので、800年近くの差がある
▲「具足山」東側にある解説板
【戦時中、戦車が隠されていた】
この赤城神社の森には、戦時中、戦車が装甲車が隠蔽されており、この地に駐屯していた兵士達の中には作家の司馬遼太郎先生もいたということである
▲神社脇の解説板
赤城神社についての詳細は
佐野市HP
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