探検日(写真撮影日) 2018年09月19日 データ作成日 2018年10月17日 最新データ更新日 2018年10月19日
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越中・能登を主な勢力基盤として、 日本海域の経済(交通・交易)を 握った大有力者の墓である 可能性が高い
1998年(平成10年)、地元研究者の 踏査により新たに発見された
発見時には住宅が迫っており、 前方部も既に宅地化が 決まっていたが、買収され、 公園として整備された この周囲に存在したのが、 この古墳だけだったとは思えない これだけの巨大古墳ですら 発見されずにいたのだから、 周囲あった他の古墳は、 知らずに潰されていた 可能性もあるのではないか ▲文部科学省、富山県、氷見市による 柳田布尾山古墳の解説板
▲墳頂にある粘土槨の解説板
墳丘中心を外れていたため、 本来は複数の埋葬施設が存在し、 墳丘中央の埋葬施設が 破壊された可能性が高い。
古墳時代、この丘陵周辺に潟湖が 形成され、それを見下ろす位置に 本古墳が築造されたと考えらる。
▲前方部前の解説板 「古墳の築造」 二段に造られたが、一段目と 二段の間のテラス部分が狭い また、墳丘は地山を削りだした後、 盛り土を行って構築された。 盛土体積は古墳総体積の約60% 前方部:約4m 後方部:約7m
来歴 1998年(平成10年)6月24日 踏査により発見(氷見市史編纂事業)。 1998〜1999年度(平成10〜11年度) 第1次・第2次発掘調査(氷見市教育委員会、2000年に報告書刊行) 2000年度(平成12年度) 第3次発掘調査・レーダー探査・電気探査(氷見市教育委員会、2001年に報告書刊行) 2001年(平成13年)1月29日 国の史跡に指定 2001〜2002年度(平成13〜14年度) 公有地化 2003〜2005年度(平成15〜17年度) 史跡整備 2006年(平成18年)4月 柳田布尾山古墳公園の開園