【白石古墳群・稲荷山支群】
鮎川の西岸に、南北約2キロにわたって展開される群馬県屈指の大古墳群・白石古墳群を構成する4つの支群
の一つ、稲荷山支群に分類され、稲荷山古墳群と表記される場合もある。
中心となる白石稲荷山古墳(国指定史跡)七輿山古墳(国指定史跡)は、白石古墳群全体のの中でも最大規模で、七輿山支群の七輿山古墳(国指定史跡)と共に群を抜いており、東日本でも最大級である。
現在、稲荷山支群の皇子塚古墳、平井地区1号墳、白石稲荷山古墳を含む地区を中心として、七輿山支群の南部、七輿山古墳を含む地域一帯が、毛野国白石丘陵公園として整備を進められている。
【十二天塚古墳】
昭和初期には、「十二天塚(十二天山?)」という一つの古墳として、白石古墳群に確認されている7基の前方後円墳のうちの一基と考えられており、「群馬県遺跡台帳」
にも「十二天塚」という前方後円墳として記載されている。
1935年(昭和10年)の群馬県下の古墳の一斉調査では、平井村577号古墳と採番されている。
しかし、1987年(昭和62年)から3回にわたる範囲確認調査で、二つの方墳で、白石稲荷山古墳と陪塚とされ、十二天塚古墳・十二天塚北古墳と命名された。
2009年には白石稲荷山古墳の国史跡の指定に、一括として、2基も追加指定された。
さらに、2019年、藤岡市、早稲田大学、群馬県立歴史博物館の合同で、最新のデジタル3次元(3D)測量と地中レーダー探査(GPR)に非破壊調査が行われた結果、2基はいずれも直径22mの円墳と判明した。
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