【白石古墳群・稲荷山支群】
鮎川の西岸に、南北約2キロにわたって展開される群馬県屈指の大古墳群・白石古墳群を構成する4つの支群
の一つ、稲荷山支群に分類され、稲荷山古墳群と表記される場合もある。
中心となる白石稲荷山古墳(国指定史跡)七輿山古墳(国指定史跡)は、白石古墳群全体のの中でも最大規模で、七輿山支群の七輿山古墳(国指定史跡)と共に群を抜いており、東日本でも最大級である。
現在、稲荷山支群の皇子塚古墳、平井地区1号古墳、白石稲荷山古墳を含む地区を中心として、七輿山支群の南部、七輿山古墳を含む地域一帯が、毛野国白石丘陵公園として整備を進められている。
【喜蔵塚古墳】
稲荷山支群の南端に、現状、独立して所在する、裁石積みの横穴式石室を有する円墳または方墳。
かつての多野郡平井村に所在し、1935年(昭和10年)の群馬県下の古墳の一斉調査では、平井村567号古墳と採番されている。
また、所有者の名前から「田村塚」との別称もあり、「群馬県遺跡台帳」「群馬県古墳総覧〈2017〉」には喜蔵塚(田村塚)と記載されてい。
個人の敷地内にあり、古くに開口し、二次利用されていたようで、出土遺物は伝えられていないが、裁石(きりいし)積みの横穴式石室の造りなどから、7世紀の築造
と推定されている。
裁石積みの横穴式石室は、玄室の天井、奥壁、側壁、玄門、羨道の側壁など全てが巨石を四角に切って、表面をきれいに加工して、積み上げられている。
持ち送り(上に行くほど内傾)がなく、表面には漆喰が塗られていたとされている。
墳型、サイズは資料により、多少の差がある。(下表の「形状」参照)
かねてより円墳とされてきたが、方墳の可能性も指摘されており、「群馬県古墳総覧〈2017〉」「国立民族博物館研究報告書2003」などでは方墳とされている。
横穴式石室があれほど「四角」にこだわっているので、墳型も方墳なのかもしれない。
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