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ふじおかし99ごうこふん / しらいしこふんぐん
藤岡市99号古墳 / 白石古墳群
 

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白石古墳群・下郷支群

鮎川の西岸に、南北約2キロにわたって展開される群馬県屈指の大古墳群・白石古墳群を構成する4つの支群の一つ、下郷支群に分類され、下郷古墳群と表記される場合もある。

4つの支群の中の南東部に位置し、1980年代に行われた藤岡市の遺跡分布調査では、2基の前方後円墳、萩原塚古墳、白石二子山古墳を中心に、4つの支群中、最も多い55基の古墳 が確認されている。

現在、皇子塚古墳平井地区1号古墳白石稲荷山古墳が所在する稲荷山支群北部を中心として、七輿山支群の南部、七輿山古墳を含む地域一帯が、毛野国白石丘陵公園として整備を進められているが、猿田川の東側に位置する猿田支群、下郷支群 はほとんど放置状態で、個人の敷地内に残存古墳が寂しく点在している。


白石古墳群分布図
(資料を基に独自に作成したもの)
 



▲南側から。西は県道173号

手前の、削られた低い墳丘。
奥の高い木は平井村509号古墳
 


藤岡市99号古墳

西側の上位段丘上の巨大な白石稲荷山古墳が見下ろす県道173号線沿いに数基残存する円墳のうちの一基。

藤岡市の通し番号で、藤岡市99号古墳と称されている。

かつての多野郡平井村大字白石字瀧1856に所在しており、同一地籍に所在することから、1935年(昭和10年)の群馬県下の古墳の一斉調査で平井村507号古墳、あるいは平井村508号古墳と採番された古墳の可能性もある。

すぐ北側に平井村509号墳、すぐ南側に平井村505号墳が 一直線に並んで現存する。

「群馬県遺跡台帳」No.1607(滝1856所在)には「円墳、径東西20.7m、南北10.6m、高さ3m、西側南側大きく減失。大きな石材散乱」とある。

墳丘規模はもう少し小さく見えるが、西側と南側が道路などで削られている状況は一致する。

石材は周辺のどこかにあったのか、取り除かれたのかもしれない。
 


白石稲荷山古墳からの遠景

左が平井村509号古墳
真ん中が藤岡市99号墳
右が平井村505号古墳

この右手にも藤岡市106号、
道路から内部に入った農地にも
複数の古墳が残存している
 
史跡指定   所在地 群馬県藤岡市白石1855、1856
(多野郡平井村大字白石字瀧1856)
所有者:個人
別名 平井村507古墳、平井村508号古墳?
 「上毛古墳綜覧〈1938〉」
遺跡番号 古099 名称なし 「マッピングぐんま」 
No.1607 名称なし 「群馬県遺跡台帳」 
アクセス
駐車場

藤岡市の古墳地図
築造年代  
形状 円墳
東西径:20.7m 南北:10.6m 高さ:3m(県台帳)
【507号】径:85尺(約26m・「上毛古墳綜覧〈1938〉
【508号】径:90尺(約27m・「上毛古墳綜覧〈1938〉
埋葬施設 横穴式石室
出土遺物 墳丘:須恵器
周辺施設  
調査 (測量)昭和58.11.11〜昭和59.1.19
文献 『藤岡市史 資料編 原始・古代・中世』 1993 藤岡市  

探検日(写真撮影日)  2020年01月29日
最新データ更新日  2019年07月10日

【参考文献】
□「群馬県古墳総覧〈2017〉本文・一覧表編/古墳分布図編」群馬県教育委員会事務局文化財保護課
□「東国文化副読本 〜古代ぐんまを探検しよう〜」 群馬県文化振興課
□「古墳めぐりハンドブック」群馬県立博物館
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旧写真  
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