古墳の森TOP群馬県の古墳川場村の古墳


かわばむら78ごうこふん / てんじんこふんぐん
川場村78号古墳 / 天神古墳群
 

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川場村の古墳

1935年(昭和10年)の群馬県下の古墳の一斉調査では、 川場村で89基の古墳が確認されている(川場村1号〜89号古墳)。

天神古墳群

「上毛古墳綜覧〈1938〉」記載の川場村の古墳のうち、川場村69号墳〜85号墳、88号墳〜89号墳の19基が、大字天神に所在する。

1954年(昭和29年)に 群馬大学、尾崎喜佐雄先生により調査され、『横穴式古墳の研究』に、川場A号(川場村71号と重複)〜G号古墳が、調査古墳として一覧表に掲載されている。 はは

群馬県古墳総覧〈2017〉」には、上記の古墳に、1970年(昭和45年)〜1971年(昭和46年)に調査された無名1号〜4号 古墳を加え、計29基が」に記載されている。

県台帳3236には「川場村72号墳〜77号墳」が天神古墳群として記載されている。

「マッピングぐんま」には「川場村0007遺跡 天神古墳群」と して、「川場村72号〜83号古墳」と記載されている。

「川場村72号〜83号古墳は字天神の南端の農地の一角(地番100〜116)にまとまって所在すると思われる。

農地を挟んだ北側にも、封土を失い、石室材のみとなった古墳が2基所在する。(川場A号古墳(川場村71号)竹鼻古墳(川場村85号))

間の農地にもかつては多数の古墳があり、現在は削平されたと思われる。(川場B号〜G号古墳?)

現存するのは10数基と思われ、当方が確認できたのは15基(石材のみの古墳跡含む)である。

7世紀代の群衆墳と思われる。


川場村78号古墳

1935年(昭和10年)の群馬県下の古墳の一斉調査では、川場村78号墳と採番されている。

1926年(大正15年)頃、発掘されたようだが、出土品等は伝わっていない。

地目は「 畑、元石置き場」となっている。

マッピングぐんまに記載がある「天神古墳群」中の1基である。(県台帳にはなし)



▲川場村78号古墳
1935年(昭和10年)調査時の
スケッチ図 (古墳台帳より)


川場村の古墳台帳にある墳丘、石室のサイズ等は下表の通り。


・「石槨開口、玄室」と記されており、石室の図ははないが、サイズは記されている。

・天井石が露出しているあたりに隙間があるように見えるので、そこから、中に入り、石室を計測できる状態だったのか。

↓↓↓ 【当方で川場村78号古墳は消滅と推測】 ↓↓↓


▲天神古墳群 分布図
(各種資料を基に独自に作成)

現地で確認できた14基の古墳を
「あ」号〜「す」号まで割り振り、
上毛綜覧番号に同定したもの



消滅とした根拠
  1. 地番やスケッチ図の特徴から、順番に墳丘を同定していくと、78号古墳79号古墳の推定地付近にあるのが「」号1基のみで、いずれかが消滅した可能性がある。

  2. 当方では「」号=79号古墳(111)としたので、78号古墳に該当する墳丘が見当たらない。

  3. 古墳台帳には玄室サイズがあるので、78号古墳には中に入れるような石室が存在したはずだが、「」号(79号古墳)には見られない。
    (」号=崩落、埋没した「78号古墳の可能性もあるが、すると、逆に79号古墳に該当する墳丘がなくなる。

  4. 地番110や「群馬県古墳総覧」分布図から見て、道路に近い位置か、畑の真ん中の目立つ場所に所在すると思われ、目立つ石室もあれば、見落としたとはまず考えにくい。(他の古墳サイト様でも見つけられず)

  5. 群馬県古墳総覧」の分布図を見ると、大まかな地図ながら、98番(78号古墳)の点は、明らかに古墳群とは一線を画し、一基のみ西側に離れてプロットされており、78号古墳は古墳群が集中するブロックにはないと推測できる。(道路を挟んだ西北側の地番296付近か?)

  6. 現在、古墳群の北西をまっすぐに通っている道路は、(昭和10年)調査当時は存在せず、地番110の区画を突っ切って新しく作られたもので、地番110の区画は以前は地番296あたりまで食い込んでいたと推測できる。(左の検証図参照)
    道路建設後、付近は区画整理されたと思われ、北西側を296、南東側を110に番号を振り直した可能性がある。

  7. 北西側の地番296に、墳丘らしきものも見当たらないので、78号古墳は道路にかかり、消滅した可能性が高いか。

かつてとは道路の位置が違う


78号古墳 推定位置検証図

右上:「群馬県古墳総覧」の分布図
左:1975年頃の区画(推定)
右:現在の区画

78号古墳の推定位置

かつては、道路がまっすぐではなく、山形になっていたのは、そこにあった古墳を避けて通っていたからか?


上の検証図で比較してみると、78号古墳は現在の道路にかかる位置か、その北側にあったものと推測できる。

道路建設時か、それ以降に削平されたものと推測できる。

さらに、県台帳に記載されているの77号古墳までで、78号古墳以後の古墳の記載がないのは、

当時、78号古墳の消滅に加え、道路新設、区画整理によって110以降の地番が変更になったため、79号古墳以降の古墳の同定に混乱があったためではなかろうか。

ちなみに、78号古墳=「」号(地番108)とする古墳サイト様があり、そちらである可能性もある。

」号 には中に入れるような横穴式石室はないが、経年により崩落、埋没した可能性もあり、スケッチ図のイメージとも大きな違和感はない。(地番が108とわずかにズレがあるのが気になる)

当方では、地番とスケッチ図のイメージの一致などの点から、「」号 =75号古墳に同定している。

以上から、78号古墳に該当するような墳丘をみつけられず、78号古墳=消滅とした。

史跡指定 所在地 群馬県利根郡川場村大字天神110
(利根郡川場村大字天神字城越110)
別名 川場村78号古墳(上毛古墳綜覧〈1938〉)
川場村0007 天神古墳群
アクセス
駐車場
形状 円墳
直径:7.5m 高さ:2m  周囲:24m
築造年代 7世紀代?
埋葬施設 横穴式石室
玄室 幅:1.5m 石室長:2.5m 深さ:1m
出土品  
周辺施設  
調査歴 (大正15)
文献 『上毛古墳綜覧』 1938 群馬県 更新履歴

探検日(写真撮影日)  2022年09月04日
最新データ更新日  2022年09月16日

【参考文献】
□「上毛古墳綜覧〈1938〉」
群馬県古墳総覧〈2017〉本文・一覧表編/古墳分布図編
□群馬県遺跡台帳II 西毛編 群馬県文化財保護協会
□「古墳めぐりハンドブック」群馬県立博物館
群馬の遺跡〈4〉古墳時代1―古墳
東アジアに翔る上毛野の首長 綿貫観音山古墳 (シリーズ「遺跡を学ぶ」119)
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