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どうくんづかこふん(きたたちばなむら39ごうこふん)
訓塚古墳(北橘村39号古墳)
 

※写真は全てクリックで拡大します※


旧北橘村の古墳

1935年(昭和10年)の群馬県下の古墳の一斉調査では、 北橘村(現在の渋川市北橘町)には133基の古墳が確認されている。

その後に確認された古墳も含めて、「群馬県古墳総覧〈2017〉」には現在、渋川市北橘町に161基の記載があるが、現存するのはわずか数基のようである。
 



▲南から

私有の畑地内にあり、
大事に保存されている様子
 

道訓塚古墳

1935年(昭和10年)の群馬県下の古墳の一斉調査では、北橘村39号古墳と採番されて いる。

固有名称は「道訓塚」と記載されている。

発掘調査は行われておらず、詳細は不明。

由来徴証としては「縣社木曽神社ノ湧玉ノ源ナリトイフ。耳ヲツケルト泉ノ流レル聞ユトイフ」

ここから、2kmほど南西の縣社木曽三社神社の湧玉の源がここで、墳丘に耳をつけると水音が聞こえるということだろうか。

この赤城山麓は「滝沢の湧玉」など「○○の湧玉」と呼ばれる湧水地が多く、この古墳の地下にも水脈が通っているのか。

「道訓」とは医者の名前という話もあり、江戸時代に同名の医者が存在したようだが、関係は不明である。
 


道訓前遺跡

道訓塚古墳のすぐ東側に解説版が建っているが、道訓塚遺跡の範囲内に立地しているようである。

道訓塚遺跡は、縄文時代中期中葉から後葉にかけての大規模な環状集落で、平成8年度・平成9年度に発掘調査が行われた。

竪穴住居跡40軒、土こう264基が検出され、「道訓前遺跡出土品165点」は国指定重要文化財に指定されている。

特に本遺跡の特徴として、この地域独特の文様を付した「焼町土器(やけまちどき)」が有名で、イギリスの大英博物館の企画展でも展示された。
 


▲「道訓前遺跡」の解説版
 


▲道訓前遺跡出土品

中央が「焼町土器」
 


▲墳頂の石造物

古墳台帳にある「石塔一基」か
 


道光塚古墳

1935年(昭和10年)の群馬県下の古墳の一斉調査では、北橘村38号古墳と採番されている。

固有名称は「道光塚」と記載されている。

道訓塚より350mほど北(三反田572)に所在したが、現在は削平されたようである。
 


十二塚古墳

1935年(昭和10年)の群馬県下の古墳の一斉調査では、北橘村40号古墳と採番されている。

固有名称は「十二塚」と記載されている。

道訓塚より250mほど南(道訓前481-1)に所在したが、現在は削平されたようである。

台帳には、「サイズ不明、石室に使われた大石3コが積み重ねてある」とあるので、県下一斉調査の時点では既に墳丘が削られ、石室材のみが残る状態だったのかもしれない。

古墳台帳や地番からすると、マッピングぐんまの位置よりは100mほど南のようであるが、現在、推定地に付近には何も見当たらない。

(かつて候補地として掲載していた写真の場所は違う可能性が高いので、削除した。)
 



▲「道訓前遺跡」 東から

道路を挟んで奥が道訓塚古墳

手前の左に建っているのは
「道訓前遺跡」の解説版で
この付近が調査されたよう
 
史跡指定   所在地 群馬県渋川市北橘町上箱田525-1外
(勢多郡北橘村大字上箱田字道訓塚527)
所有者:個人?
別名 渋川市遺跡番号H0089 「道訓塚」
北橘村39号古墳(上毛古墳綜覧〈1938〉)
渋川市遺跡番号H0048 「道訓前遺跡」
アクセス
駐車場
渋川市の古墳地図 
形状 円墳
東西、南北:21尺(約6.3m) 高さ:8尺(約2.4m)
築造年代  
埋葬施設  
出土品 なし
周辺施設  
調査歴 なし
文献 『上毛古墳綜覧』 1938 群馬県 更新履歴

探検日(写真撮影日)  2020年02月03日
最新データ更新日  2020年06月27日

【参考文献】
群馬県古墳総覧〈2017〉本文・一覧表編/古墳分布図編
□群馬県遺跡台帳II 西毛編 群馬県文化財保護協会
□「古墳めぐりハンドブック」群馬県立博物館

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