【埼玉1号墳・天王山古墳】
さきたま風土記の丘内で、東西南北に、将軍山古墳、丸墓山古墳、二子山古墳、稲荷山古墳の巨大古墳に囲まれた位置に所在する小円墳群(南小円墳群10基)中の1基。
1967年(昭和42年)の風土記の丘整備事業開始の直前までは宅地で、墳丘はほぼ削平されており、現在はわずかに方形の高まりが遺存するのみである。
埋葬施設(粘土槨系と推定)も削平されたようで、検出されていない。
1968年(昭和43年)、北側、稲荷山古墳との間の農地に航空写真により発見された2号
墳(梅塚)〜7号墳と共に、1974年(昭和49年)、発掘調査され、1989年(平成元年)に、「埼玉古墳群」の史跡範囲に追加指定された。
【天王山の由来・来歴】
『史蹟埼玉(1936)』に、「天王山墳址」として以下の記述がある。
「丸墓山の
南方にあつた圓墳で八坂社を奉祀し、周囲三に余る神木すぎありしも、明治四十一年合祀と共に伐材せられ墳上は住宅地となる。」
明治末期の神社合祀政策までは八坂社と神木があったが、八坂社は他所へ合祀させられ、その跡地に住宅が建てられたようだ。
墳丘は宅地化された時に大半が削平されたようである。
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