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          だいにちづか(うるしづか)こふん / さまふんぐん
行田市
指定史跡 大日塚(うるし塚)古墳 / 佐間古墳群

※写真は全てクリックで拡大します※


佐間古墳群

忍川の右岸の自然堤防上、埼玉古墳群のすぐ西に隣り合うように築かれた古墳群。

多くの古墳が破壊され、現存するのは大日塚古墳諏訪山古墳の2基のみである。

近年の住宅建設などのための発掘調査により、佐間古墳群の北端の大日塚古墳から、南端の諏訪山古墳の間に佐間1号墳〜7号墳までの古墳跡が確認されている。
 

大日塚古墳

墳頂に埼玉県指定文化財の「大日種子板石塔婆(だいにちしゅじいたいしとうば)」が立っていたため、「大日塚」と称されているが、かつては「うるし塚」とも呼ばれ、「大日本國誌 武蔵國」には、「山伏塚」の名で記されている。

築造時期は埼玉古墳群の稲荷山古墳に近い時期と考えられ、埼玉古墳群と周辺の古墳群との関連を考える上で重要な古墳であるため、市の史跡に指定された。


二回の改変、三回の埋葬

1977年の調査により、箱式石棺の第一主体部に上に、粘土槨2基の第二主体部が造られたことが確認され、墳丘が2回、改変されたことがわかった。

第一次埋葬の主体部

・墳丘下1.0m
・箱式石棺(組み合せ式)
・緑泥片岩(長瀞産)
・内法長:約1.8m
・東幅:0.55m 中央幅:0.5m 西幅:0.38m

第二次埋葬の主体部

・墳丘下0.7m 
・第一粘土槨(南)
  全長:約2.8m 内法長:約2.5m
  中央幅:0.53m 高さ:0.12m
  太刀、鉄鏃、刀子、刃、人骨
・第二粘土槨(北)
  全長:約3.35m 内法長:約2.55m
  中央幅:0.58m 高さ:0.15m
  刀子、弓具、鉄鏃


▲北東側から

墳丘上にあった樹木や石造
物は除去され、整備された
 


▲埋蔵文化財センター内

門扉はなく、古墳の見学は
いつでも自由にできる

▲大日塚古墳の第1・第2粘土槨
箱式石棺実測図
 

▲古墳前の解説板
行田市教育委員会による
 


小針鎧塚古墳出土 石棺


▲センターの敷地内の石材

古墳の東側、敷地の隅に箱式石棺と思われる石材が置かれている。

大日塚古墳のものは埋め戻されているので調べたところ、どうやら小針鎧塚古墳からセンターに運び込まれたものらしい。
(詳細は小針鎧塚古墳
 


大日種子板石塔婆


▲大日塚脇のレプリカ

かつては大日塚の墳頂部に建てられており、大日塚の中の由来となった板石塔婆。

1236年、嘉禎(かてい)2年、の銘があり、埼玉県内で現存する中では6番目に古く、昭和36年に県指定文化財に指定され た。
 

佐間古墳群 一覧表
名称 指定 現状 墳形 主体部 その他
大日塚古墳(No.45諏訪山遺跡)          
諏訪山古墳(No.40諏訪山北遺跡)          
佐間1号墳(No.41遺跡)         1980年発見
佐間2号墳(No.41遺跡)         1980年発見
佐間3号墳(No.41遺跡)         1989年発見
佐間4号墳         1992年発見
佐間5号墳         1992年発見
佐間6号墳         1992年発見
佐間7号墳         1992年発見
所在地 埼玉県行田市佐間3-8-9
埋蔵文化財センター内
アクセス
駐車場

曜日によって作業員がおり、市内から出土し、運び込まれた埋蔵文化財の整理作業しているとのこと。センター内の遺物を見学したい場合は、行田市教育委員会に事前に確認し、予約した方が良い。
別名 うるし塚、山伏塚、
行田市No.40 諏訪山北遺跡
史跡指定 行田市指定史跡
 1999年(平成11年)3月25日指定
築造年代 6世紀前半頃
形状 円墳 二回の改変
径:18m 高さ:3m  
埋葬施設 粘土槨(木製の棺) 2基
箱式石棺(組み合せ式) 1基
出土遺物 【粘土槨】直刀、刀子、鉄鏃、人骨片等
【第一次墳丘】円筒埴輪
周辺施設 周溝
古墳群
調査暦
1977年(昭和52年)8月 発掘調査
1980年(昭和55年) 第1次発掘調査(1号・2号墳)
1989年(平成元年)第2次調査(3号墳)
1992年(平成4年) 第3次調査(4号〜7号墳)
更新履歴

探検日(写真撮影日) 2019年12月15日
最新データ更新日 2020年01月12日

文献 埼玉県古墳詳細分布調査報告書
さいたま古墳めぐり古代ロマンの70基(さきたま双書)
埼玉の古墳 北埼玉・南埼玉・北葛飾 さきたま出版会
埼玉県の歴史 (県史)



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