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びわじまこふん(しんやしきかいづか) / おおつかこふんぐん
琵琶島古墳(新屋敷貝塚) / 大塚古墳群(仮)
 

※写真は全てクリックで拡大します※


琵琶島古墳

埼玉県さいたま市西区指扇に所在する。

従来は知られていなかったが、1972年(昭和47年)の新屋敷貝塚の発掘調査の際に、古墳跡が確認されたという。

調査部分は、南端の一部に幅2m〜2.8mの周溝のみであったが、直角に曲がる部分が確認されたということから、方墳とされている。

現状、単独で存在するように見えるが、この地域には珍しい方墳という形状から、北東1.5kmほどにある県指定史跡の『方墳大塚古墳​』と同じ大塚古墳群に属するという説もある。

また、近年まですぐ近くに塚があったという話もあり、周囲には古墳群があった可能性もある。

周溝から、須恵器の長頸壺(ちょうけいこ)が出土していることから、7世紀の築造と推定されている。
 



▲南東から
 


▲北西から

▲西側から
 

▲墳上の稲荷神社



琵琶島古墳琵琶島の謎

「第32回特別展 さいたまの古墳」には「墳丘消失」 とあり、また、調査以前には「古墳の存在は知られていなかった」ということから、「琵琶島古墳」の場所には古墳と思われるようなものは存在しなかったと思われる。

しかし、「さいたま市遺跡地図」の「琵琶島古墳」の位置(右図参照)には、細長い墳丘状のもの(仮に「琵琶島」とする)が所在し、誰が見ても古墳か塚のように見えるので、上記のような表現とは一致しない。

この「琵琶島」は、「琵琶島古墳」とは別のもので、「琵琶島古墳」の墳丘は消失したものと考えられているのかもしれない。

琵琶島古墳」は新屋敷貝塚の発掘調査時にその範囲内で古墳跡が見つかったので、「さいたま市遺跡地図」 の「琵琶島貝塚(新屋敷貝塚)」の種別には「古墳」が含まれるのかもれしない。

しかし、そうすると、貝塚より少し西側の「琵琶島」の位置を「琵琶島古墳」として登録し、さらに種別を「散布地」としたのには疑問が残る。

あるいは、「琵琶島」を「琵琶島古墳」と混同しているだけで、新屋敷貝塚の調査で見つかった古墳は全く別のものということなのか。
 


▲さいたま市遺跡地図

左の細長い楕円が「琵琶島古墳」
右が「琵琶島(新屋敷)貝塚」
 

▲左が1947年頃の空中写真
右が旧版地図 [明治初期]
(迅速測図)
「今昔マップ on the web」より作成
 


琵琶島」という地名から、古墳跡が確認される以前から、「琵琶に似た島」の ようなものが、ここに存在したはずである。

上の写真(左)の通り、「さいたま市遺跡地図」の「琵琶島古墳」の位置には、1947年の空中写真に細長い丘状のものが写っており、さらに遡って、明治初期の地図に至っては、前方後円墳らしき形に書かれていて、これが、古くから「琵琶島」と呼ばれていただろうと思われる。

琵琶とすると、元は後円部がもっと大きい帆立貝型だったとも考えられ、小さな前方部の隅は直角に近い形と考えられる。

調査報告書を見ていないので、あくまで勝手な推測だが、
これらの図や写真からすると、「琵琶島」が前方後円墳の一部で、前方部の南東隅の直角に見える部分の周溝が、東側の新屋敷貝塚側の発掘調査で、「方墳の一部と思われる直角の周溝」として検出されたと考える方がしっくりくるかもしれない。
 

史跡指定 アクセス
駐車場

さいたま市の古墳地図
所在地 埼玉県さいたま市西区指扇(字新屋敷)
別名 さいたま市埋蔵文化財包蔵地 遺跡番号12-395
C-48号遺跡 琵琶島古墳 C-48号遺跡 琵琶島古墳 (種別:散布地)
さいたま市埋蔵文化財包蔵地 遺跡番号12-394
C-47号遺跡 琵琶島貝塚(新屋敷貝塚) (種別:貝塚、集落跡、古墳)
築造年代 7世紀
形状 方墳
埋葬施設 横穴式石室(砂質凝灰岩の石片より推定)
出土遺物 須恵器 長頸壺(ちょうけいこ)の口頸部2点
周辺施設 周溝
古墳群
調査暦
1972年(昭和47年) 新屋敷貝塚発掘調査により
周溝の南端のごく一部
更新履歴

探検日(写真撮影日) 2022年03月29日
最新データ更新日 2022年05月12日

文献 第32回特別展 さいたまの古墳(2009) さいたま市立博物館
埼玉県古墳詳細分布調査報告書 埼玉県教育委員会
さいたま古墳めぐり古代ロマンの70基(さきたま双書)
埼玉の古墳 北足立・入間
埼玉県の歴史 (県史)



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