【側ヶ谷戸古墳群】
側ヶ谷戸古墳群は、鴨川沿いの肥沃な農作地帯に、北から植水古墳群、側ヶ谷戸古墳群、大久保古墳群と、長く繋がる古墳群の一支群で『さいたま市大宮区三橋4丁目』に所在する古墳の総称である。
(中央区(旧与野市)円阿弥の古墳も含む)
現在、墳丘、石室跡を残す、5基がさいたま市の史跡に指定されている。
近年、繰り返し行われている側ヶ谷戸貝塚の発掘調査により、総数30基に近い古墳が確認されている。
【井刈古墳】
井刈古墳は側ヶ谷戸古墳群中では唯一の前方後円墳であり、主墳だったと考えられているが、早い時期に消滅しており、さいたま市の史跡の指定範囲外となっている。
東に隣接し、現存する茶臼塚古墳も現状は円形に見えるが、南側に前方部を持つ前方後円墳の可能性が指摘されており、この場所に前方後円墳が2基、近接して並んでいたのかもしれない。
『埼玉縣史(1951)』に字井刈に前方後円墳があったという記述があり、その古墳がこの井刈古墳と推測されている。
1959年(昭和34年)、耕地整理の際わずかに残っていた墳丘を削平したところ、人物埴輪と
馬形埴輪が発見された。
鴻巣市の生出塚埴輪窯産とされ、6世紀第3四半期と比定されている
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