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やおびくにのはか ふたつづか / さいたましb-72ごういせき
八百比丘尼の墓(?) 二ツ塚 / さいたま市B-72号遺跡
 

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八百比丘尼の伝説

八百歳まで生きたという八百比丘尼の伝説は日本各地に様々な形で伝えられており、さいたま市にも多くの伝承がある。

さいたま市(旧大宮市)の八百比丘尼伝説(準備中)
 

八百比丘尼の二ツ塚

さいたま市(旧大宮市)西区櫛引町の陸上自衛隊駐屯地の隣にある農研機構の敷地内に所在する塚。

公的機関の敷地内の隅にあるためか、これまで発掘調査等は行われてはおらず、「さいたま市遺跡地図」には、時期不明の塚とのみ記載されている。

「大宮市史」には八百比丘尼に関係する遺跡だという、二つの塚があるという記述があるというが、詳細は不明である。

「塚」というのは、「墓」ということか、何かを信仰の対象として祭ったのかも定かではない。

なお、200mほど南の櫛引観音堂にはかつて、八百比丘尼が植えたという槻の木(欅の古名)が2本あったとされ、八百姫の碑が残っている。

また、2.3kmほど南の慈眼寺には、八百比丘尼が亡くなった場所に祠を建てたという伝承が残り、八百比丘尼が亡くなった時に抱いていたという延命地蔵尊、八百比丘尼宮、石碑などがある。→八百比丘尼の祠参照
 



▲西側から
 


▲北側から
 
近世の信仰の塚という可能性もあるが、草木で覆われており、
塚上の社や石造物のようなものは確認できなかった。

二つの塚というが、現状、確認できるのは一つのみであり、
センターを作る際に建物や道路で削られたのかもしれない。

あるいは、古墳だったならば、円墳が二つ、あるいは墳丘が
二つに見える前方後円墳のようなものだった可能性もある。
 


▲南側から

こちら側は木々の下がかなり
削られているようにも見える
 

▲塚の南側

付近にもう一つの塚の痕跡がないかと周囲を探すと、微かに盛り上がっていたが、自然にできた凹凸かも
 

史跡指定   アクセス
駐車場

さいたま市の古墳地図
所在地 埼玉県さいたま市北区日進町1丁目
農研機構 敷地内
別名 さいたま市埋蔵文化財包蔵地 遺跡番号12-336
B-72号遺跡 塚
築造年代 時期不明
形状
埋葬施設  
出土遺物  
周辺施設  
古墳群
調査暦
  更新履歴

探検日(写真撮影日) 2022年03月29日
最新データ更新日 2022年05月11日

文献 慈眼寺 (さきたま文庫)
第32回特別展 さいたまの古墳(2009) さいたま市立博物館
埼玉県古墳詳細分布調査報告書 埼玉県教育委員会
さいたま古墳めぐり古代ロマンの70基(さきたま双書)
埼玉の古墳 北足立・入間
埼玉県の歴史 (県史)



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