古墳の森TOP埼玉県の古墳さいたま市(旧大宮)の古墳さいたま市の古墳地図


さいたまし(きゅうおおみやし)のやおびくにのきゅうせき
さいたま市(旧大宮市)の八百比丘尼の旧跡
 

※写真は全てクリックで拡大します※


八百比丘尼の伝説

八百歳まで生きたという八百比丘尼(八百姫とも)の伝説は日本各地に様々な形で伝えられており、さいたま市にも多くの伝承がある。


旧大宮市内の伝承

(1) 八百比丘尼の祠と石碑、慈眼寺
 さいたま市西区水判土

(2) 八百比丘尼の塚(墓?)
 さいたま市北区日進

(3) 八百比丘尼の植えた松、八百姫大明神
 さいたま市北区植竹

(4) 八百比丘尼の植えた槻、櫛引観音堂
 さいたま市大宮区櫛引  

(5) 八百比丘尼の安養所、安養寺
 さいたま市見沼区染谷

 


その他、
「大宮北原」に八百比丘尼の住居跡、八百姫大明神があるという情報もあったが、出典等、未確認。

さいたま市には、緑区(旧浦和市)に北原という地名があるが、旧大宮市にはない。

しかし、旧大宮市の桜木町・錦町・土手町などの地域がかつて「北原村」が存在した。

また、これも未確認だが、桜木町には、八百比丘尼の植えた木で作った臼が二軒の家に伝わっているという情報もあるので、現在の大宮区桜木町に、八百比丘尼に関連する何かがあったのかもしれない。

ただし、これらの情報は出典がはっきりせず、他の情報と混同している可能性もある。

現在、確認中。

 

(1) 八百比丘尼の祠と石碑 (2) 八百比丘尼の塚(墓?)


八百比丘尼の祠と石碑

西区水判土の慈眼寺境内
詳細はこちら
 


八百比丘尼塚 二ツ塚

北区日進の農研機構 敷地内
詳細はこちら
(3) 八百比丘尼の植えた松、八百姫大明神


▲八百姫神社、八百姫大明神

北区植竹町
 


現在、住宅街の中の、細い道の脇に小祠があり、かつて、この周辺に八百比丘尼が植えたといわれる松があった。

「ビャクニン松」とも。

祠の中には「八百姫大明神」と刻まれた石碑が収められており、近隣の方により大事に祀られている。

この石碑は嘉永七年(1854年)に再建されたと伝えられているそうだ。
 

昭和初期頃、この八百姫大明神のある周辺は雑木林で、丘になっていたそうで、その丘の頂きには八百姫の松があったが、枯れてしまったという。
昭和23年にその松を切って、現在の八百姫大明神の近くに新たに植えたということであり、近年まで祠の後ろで見られた松はそれのようだ。

北澤怡佐雄氏の『旅と伝説』第3年(1930)八百比丘尼の話の中に、以下のような記述があり、この植竹町の八百比丘尼の松のことと思われる。
「武州大宮町の最北端付近の雑木の中に1本の松があり、八百姫がここに来た際に松を植えたが、年を取って枯れてしまったので、それを記念するために嘉永7年5月に植えた」

すぐ南東には大宮公園があり、公園内のボート池の北側から植竹・土呂の一部にかけて、古墳群が分布していたと言われ、江戸時代、大宮宿の脇本陣の栗原家の古文書に、20基近くの古墳があったと記されているが、現在はその 所在は不明である。

大宮公園内遺跡(B-20号遺跡)など多数の遺跡があり、現在の競輪場付近に「天神山古墳」といわれる前方後円墳が存在しており、競輪場建設の際に、破壊され、刀や埴輪が出土したそうである(6世紀?)

八百姫大明神は、古墳群があったと推定される範囲内に所在し、松があったという丘は古墳だった可能性もある。
 

(4) 八百比丘尼の植えた槻、櫛引観音堂



▲櫛引観音堂の碑

大宮区櫛引町
 


櫛引観音堂の境内に、平(渋谷)正彦(国学者 平田篤胤の門人)の歌碑が残されている。

『八百姫のうえし二本もかぎりあれば、名ごりくちせぬ石ぶみぞこれ』

かつてこの場所に八百比丘尼が日本の槻(つき・榎の別称)を植えたという伝説がある。

上記の八百比丘尼塚 二ツ塚の200m南に位置し、現在の行政区は北区と大宮区に分かれるが、元は同じルーツを持つ伝説かもしれない。

『新編武蔵風土記稿』に
「槻の大木二株あり〜略〜共に囲二丈許あり 相伝えて八百比丘尼が植る所なり」

北澤怡佐雄氏の『旅と伝説』第3年(1930)八百比丘尼の話の中に、以下のような記述があり、この櫛引町の観音堂のことと思われる。
「 日進村の櫛引には八百比丘尼が来た話が伝えられている。ここにきた八百比丘尼は2本の槻を植えていったという伝説があるが、今はもう枯れてなくなっている」
 

(5) 八百比丘尼の安養所 安養寺(所在不明)


▲さいたま市見沼区染谷
八雲神社

 


▲さいたま市見沼区染谷
八雲神社境内 観音堂
新秩父6番 馬頭観世音

さいたま市見沼区染谷にかつて所在した安養寺は、八百比丘尼が奥州へ下る道中、病にかかった養生したという 伝えがある。

現在、安養寺はなく、跡地の正確な位置は分からない。

不確かだが、安養寺は、第六番の観世音菩薩を祀っていたという話もる。

染谷地内の八雲神社境内の観音堂に「新秩父三十四箇所観世音」の第6番が祀られているので、安養寺はこの付近に所在したのかもしれない。
 

染谷の地名と人魚の伝説

この「染谷」の地名の由来の一つに、文武天皇(697〜707年)のころの人魚の伝説がある。

『漁師が人魚を助けて妻とした。人魚とその娘が美しく評判となり、男達が見染めて「見染めケ谷」といわれるようになった』

八百比丘尼の伝承と関係があるかは分からないが、文武天皇(697〜707年)というと、八百比丘尼が生まれた年代と合致するかもしれない。
 

史跡指定定   アクセス
駐車場

さいたま市の古墳地図
所在地 埼玉県さいたま市(旧大宮市)
北区、西区、見沼区、大宮区
別名  
築造年代  
形状  
埋葬施設  
出土遺物  
周辺施設  
古墳群
調査暦
  更新履歴

探検日(写真撮影日) 2022年03月13日
探検日(写真撮影日) 2022年03月29日
最新データ更新日 2022年06月11日

文献 「大宮をあるく 1〜東部編」大宮市教育委員会編集
「大宮をあるく 2〜西部編」大宮市教育委員会編集
慈眼寺 (さきたま文庫)
第32回特別展 さいたまの古墳(2009) さいたま市立博物館
埼玉県古墳詳細分布調査報告書 埼玉県教育委員会
さいたま古墳めぐり古代ロマンの70基(さきたま双書)
埼玉の古墳 北足立・入間
埼玉県の歴史 (県史)



【PR】

 

 

inserted by FC2 system