【旧敷島村の古墳】
1935年(昭和10年)の群馬県下の古墳の一斉調査では、
旧敷島村(→旧赤城村→渋川市)でわずか3基の古墳が確認されている(敷島村1号〜3号古墳)。
ただし、前方後円墳として記録されている敷島村3号墳は、2基の古墳(五箇塚、五箇塚2号)であるため、実際は4基であった。
「群馬県古墳総覧〈2017〉」には五箇塚3号古墳
、猫寄居古墳を加え、旧敷島村地区に6基の記載がある。(下記一覧表参照)
渋川市域は古墳時代に二度起こった榛名山の大噴火によって甚大な被害を受けた地域であり、津久田甲子塚古墳に代表される噴火による軽石に埋もれた遺跡は多いため、未だに多くの古墳が地中に埋もれている可能性がある。
|

▲南東側から
|
【羽黒塚古墳 あるいは中世の塚】1935年(昭和10年)の群馬県下の古墳の一斉調査では、敷島村1号古墳と採番されている。
固有名称は羽黒塚となっている。

▲1935年(昭和10年)調査時の
古墳スケッチ図
「群馬県古墳総覧〈2017〉」に敷島村1号古墳(羽黒塚)として記載。
しかし、マッピングぐんまと、1997年(平成9年)の「赤城村内遺跡III」の村内遺跡一覧には、「羽黒塚古墳」はなく、「羽黒塚遺跡」があり、中世の塚となっている。
左の写真の位置と、マッピングぐんま上の位置は少しずれているが、地番は同一で、調査が行われている。
同一地番に別の塚がなく、羽黒塚遺跡が、敷島村1号墳を指しているとすると、1997年以前に行われた調査の結果、後世の塚であると判明したのかもしれない。(「群馬県古墳総覧」では、その
調査結果が反映されなかったのか?)
|