【旧白郷井村の古墳】
1935年(昭和10年)の群馬県下の古墳の一斉調査では、
旧白郷井村(→旧子持村→渋川市)で9基の古墳が確認されている(白郷井村1号〜9号古墳)。
上記のうち7基(白郷井村1号〜7号古墳)が、小字が宇津野、有瀬に所在し、宇津野・有瀬遺跡に含まれる。
3号古墳は、古くから「井熊古墳」として名が通っている、実際は井熊ではなく宇津野に所在する。
8号、9号古墳は宇津野、有瀬から離れて中郷に所在する。
渋川市域は古墳時代に二度起こった榛名山の大噴火によって甚大な被害を受けた地域であり、津久田甲子塚古墳に代表される噴火による軽石に埋もれた遺跡は多い
ため、未だに多くの古墳が地中に埋もれている可能性がある。
【宇津野・有瀬遺跡】
宇津野・有瀬古墳群は、利根川の河岸段丘上に位置する6世紀前半の古墳群
。
その大多数が積石塚であり、6世紀中頃の榛名山の噴火で降り積もった軽石層に埋もれ、ソイルマーク(スノーマーク)が現れるた埋没古墳群として有名である。
明治15年に白郷井村6号古墳の発掘が行われ、その後6基(7号墳まで)が発掘されたようだが、詳細は不明である。
1954〜1956年(昭和29〜31年)にかけて、群馬大学の尾崎喜左雄先生により、頂部が地表に現れていた井熊古墳(白郷井村3号墳)、有瀬1号墳、有瀬2号墳の3基の発掘
が行われたことは有名である。
2000年(平成12年)から3年かけて、上記の3基に加え、12基の古墳の発掘調査が行われた。
また、地中のレーダー探査により、UA001〜UA041までの41基の埋没古墳が確認されている。
2000年(平成12年) 4基(積石塚)
宇津野・有瀬遺跡1号古墳〜4号古墳
2002年(平成14年) 5基(積石塚、土盛円墳)
宇津野・有瀬遺跡5号古墳〜9号古墳
2003年(平成15年) 4基(積石塚、土盛円墳)
宇津野・有瀬遺跡10号古墳〜13号古墳
(10号墳=井熊古墳)
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▲平成13年の発掘中の風景
5号古墳〜8号古墳
『宇津野・有瀬遺跡2005』 より

▲スノーマーク
『宇津野・有瀬遺跡2005』 より

▲宇津野・有瀬遺跡
古墳の分布と集落の位置図
『宇津野・有瀬遺跡2005』 より
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【積石塚古墳】・小型の積石塚古墳
・二段築成の積石塚古墳
・土盛葺石円墳、上段積石
などの種類がある。
確認された主体部は二種類あり、いずれも6世紀代で、榛名山一度目の噴火(6世紀初)の軽石を掘り込んで築造されている。
小型の積石塚古墳で竪穴式石室、二段築成の積石塚では通常の土盛り円墳と同じ構築の横穴式石室が採用されている。
【スノーマーク】
雪解けによるソイルマーク※が見られる全国でも珍しい遺跡。
※ソイルマークとは、
地下に埋没している遺構の形状が地表面に浮かび上がる現象。
土壌ではなく、植物の場合はクロップマークともいう。
宇津野・有瀬古墳群では、埋没古墳の上だけ雪が早く解けてしまうという珍しい現象が確認され、特に「スノーマーク」という。
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