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のとも3ごうふん / のともこふんぐん
野友3号墳 / 野友古墳群
 

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野友古墳群

野友古墳群は巴川の右岸、鉾田町大字野友地区に所在する。

「茨城県古墳総覧(1959)」には記載がない。

「茨城県遺跡地名表(1970)」には、
「円墳11基」とされている。

茨城県の「重要遺跡調査報告書3(1986)」には、1号墳(墳型不明、石棺露出)と、2号墳(前方後円墳)の2基が記載されている。


▲野友古墳群 左:2号墳 右:1号墳
「重要遺跡調査報告書3」より

位置関係、地番、墳型などから考えて、1号墳は現在の3号墳、2号墳は現4号墳と思われる

「鉾田町史(1995年)」では、現在の3号墳〜6号墳を1号墳〜4号墳として記載しているようなので、その後、3号墳の東側に2基の円墳が確認され、番号を新たに東から振り直したものと思われる。

いぱらきデジタルマップには、前方後円墳2基、円墳4基、計6基と記載されている。


▲現地解説板
鉾田市教育委員会による
 



▲南側から、野友3号墳

木々に覆われているので、墳丘が
どうなっているかはよく分からない

他の古墳は残存しているものもあるようだが、私有地などで見学困難
 


野友3号墳

野友3号墳は、野友古墳群の2基の前方後円墳中の1基で、古い資料では1号墳とされている。

古い資料では、封土が崩れ墳型不明となっていたが、全長27mという小型の前方後円墳のようである。

南側に露出している箱式石棺は、側壁5枚、妻石2枚、一枚板の天井石から成る。
 

変則的古墳?

現地解説板によると、
「「南側袖部に主軸に並行して、箱式石棺が存在する」とある。

本来なら、後円部の墳上の中心にあって然るべき埋葬施設が封土を失ったことにより露出したのではなく、もともと、中心部から外れて南側に存在していたようだ。

これは、同じ鉾田市に所在する常陸梶山古墳(梶山4号墳)/梶山古墳群と同様、変則的古墳ということだろうか。

変則的古墳とは、
「墳丘中央部から外れた裾部などに埋葬施設(箱式石棺)が設けられる」という、東関東(常総)で見られる類型である。

とすると、この箱式石棺は家族墓として、横穴式石室同様、「追葬・改葬」が行われていた可能性が高く、複数の人物が埋葬されていた可能性がある。

しかし、出土遺物は伝えられておらず、早いうちに開口、中の遺物は失われたものと思われる。
 


▲石造物の下に石棺棺

墳丘上の高い位置ではなく、
梶山古墳と同様、基底を掘り
こんで設けられたように見える
 

▲石棺内

落ち葉等に埋もれている
 

愛宕山古墳群 一覧表

名称

史跡

現状

墳形

埋葬施設  
野友1号墳   × 前方後円墳    
野友2号墳   前方後円墳    
野友3号墳   × 円墳、前方後円墳?    
野友4号墳   円墳 箱式石棺  
野友5号墳        
野友6号墳     円墳    
史跡指定   所在地 茨城県鉾田町大字野友卯の子623-1他4
茨城県鉾田町大字野友字尼辺629-1外1
別名 鉾田村002 「野友古墳群」 アクセス
駐車場

茨城の古墳地図 2 
形状 前方後円墳 全長27m
前方部幅:15m 高さ:1.2m
後円部径:12m 高さ:2m
築造年代  
埋葬施設 箱式石棺
内法 60cm×90cm 高さ:50cm
出土品  
周辺施設 周溝
調査歴  
文献 重要遺跡調査報告書3(1986) 更新履歴

探検日(写真撮影日)  2022年09月29日
最新データ更新日  2022年10月02日

【参考文献】
「常陸国那珂郡家の総合考察(1959)」
「茨城縣に於ける古墳の分布(1944)」



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