【埼玉古墳群中の一基?】
大字上埼玉に所在する平安時代の遺構。
史跡埼玉古墳群の範囲並びに周囲の遺跡との関係を把握するための確認調査の一環として、2009年(平成21年)2月〜3月の間の調査で、古くより古墳跡と伝えられるこの地にもトレンチが入れられた。
古墳であれば、埼玉古墳群を構成する一基と思われるが、調査の結果、古墳周堀は確認されず、平安時代の溝跡が確認された。
【山宮山古墳跡】
地元では「シャングリ山」と呼ばれ、古墳跡と考えられていた遺構である。
「Shangri-La」(シャングリ=ラ)を思わせ、日本語的ではない名称だが、山宮山(さんぐうやま)→しゃんぐりやまの転なのかもしれない。
1936年(昭和11年)の「史蹟埼玉」には、「山宮墳址」とされ、「将軍山古墳の南方にあり、1906年(明治39年)に開拓され、小墳址を遺す」とある。
また、その後の資料では、山宮山古墳、山宮古墳などと記されている。
また、墳上に「八幡公騎馬の小祠」、墳下に「山宮神鎌田屋舗」と刻まれた小石碑があるという。
「埼玉県古墳詳細分布調査報告書 」では「山宮山」の石碑と記載されている。
【No.79号墳との混同?】
「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」では県遺跡番号No.79となっている。
しかし、「史跡埼玉古墳群
総括報告書1」では、No.79号墳は600mほど北東の「大字長野」に所在する
(白山古墳群)。
行田市の遺跡地図の遺跡番号No.79も「
総括報告書」と同位置だが、名称が「山宮山古墳」となっている。
両者ともに「遺跡番号No.79」と採番されており、広義で埼玉古墳群に含まれるため、両者を混同している可能性もある。
両者が、同じ遺跡番号、同名の古墳であることもなくはないが、考えにくい。
No.79号墳(大字埼玉)=山宮山古墳から、No.79号墳(大字長野)→山宮山古墳と(あるいは逆?)してしまったのかもしれない。
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