【さいたま市東部の古墳】
現在、さいたま市岩槻区周辺、綾瀬川流域は、国の重要文化財のみみずく土偶の出土で有名な国史跡の真福寺貝塚などの貝塚、集落跡も発見されており、古くから、人の営みがあった土地である。
現在は古墳の空白地帯に見えるが、古墳跡や、埴輪など古墳の存在を示す遺物の出土などもあり、かつてはこの地域にも古墳が存在し、古くに消滅したことがうかがわれる。
【浄安寺境内古墳】
浄安寺境内の北側の墓地より、頭部の欠損した人物埴輪が出土しており、ここに古墳が存在していたと推定されている。
しかし、1959年(昭和34年)の古墳分布調査には既に墳丘は存在せず、古い時代に壊滅していたものと思われ、詳細な位置は不明である。
埴輪の形状などから、6世紀後半のものと思われる。
南西の見沼区東宮下からも、6世紀中ごろの線刻画を持つ珍しい埴輪が出土しており、同じ東宮下地内のA-116号遺跡からは古墳跡も検出されている。
埴輪を持つ古墳の文化がこの周辺にもあったことがうかがわれる。 |

▲500年の歴史のあるお寺
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【岩槻区内の他の古墳】
「埼玉県古墳詳細分布調査報告書」には、5基の記載がある。
No.166古墳(馬込六番遺跡)は唯一、盛り土が残されているが、塚の可能性を指摘されており、古墳かは定かではない。
つかのこし古墳は大正13年に発掘調査が行われており、刀、金環、鉄鏃などの副葬品(市指定有形文化財)が出土しているため、7世紀の古墳と考えられているが、墳型、規模等は不明である。
No.170古墳跡は上記2古墳と同じ馬込に所在し、埴輪が出土したという。詳細は不明であるが、つかのこし古墳の東側に隣接していたと思われる。
竹たば古墳は、浄安寺の東200mほどの住宅地内にかつて所在した古墳跡で、墳丘の大半が破壊されていたが、1963年(昭和38年)に発掘調査され、凝灰質砂岩の小型の横穴式石室が確認されている。
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