【金崎古墳群中の1基】
荒川左岸段丘上に位置する古墳時代後期の群集墳。
かつては10基以上あったとされているが、4基のみ残存し、県指定史跡となっている。
いずれも秩父地方に特徴的な変成岩の板石や割石が精緻に組まれ、巧みに積み上げられた特徴的な横穴式石室を持つ。
【民家に迫っている】
民家がぎりぎりまで迫っており、羨道部、玄門までが完全に破壊され、玄室がむき出しになっている。
墳丘は、比較的良好に残っているように見えるが、角度が急であり、かなり削られているものと思われる。
羨道部が完全に破壊されている状態であるところを見ると、本来の羨道部は民家の内部にまで続いており、墳丘は現状の2倍ほどの大きさはあったのではないかと推定される。
玄室の残存部は比較的、良好な状態で、板石が横積みされた美しい石室の特徴を見ることができる。
大きな二つの変成岩の間に板石が横積みされてる側壁は左右に膨らむ胴張り型であり、この地方に特徴的な造りである。
玄室は持ち送りになっており、上に行くほど狭くなっているのも、この古墳群の特徴である。
▲大堺2号古墳石室実測図
(『埼玉の古墳 比企・秩父』より
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