【八百比丘尼の伝説】
八百歳まで生きたという八百比丘尼の伝説は日本各地に様々な形で伝えられており、さいたま市にも多くの伝承がある。
→さいたま市(旧大宮市)の八百比丘尼伝説(準備中)
【八百比丘尼の二ツ塚】
さいたま市(旧大宮市)西区櫛引町の陸上自衛隊駐屯地の隣にある農研機構の敷地内に所在する塚。
公的機関の敷地内の隅にあるためか、これまで発掘調査等は行われてはおらず、「さいたま市遺跡地図」には、時期不明の塚とのみ記載されている。
「大宮市史」には八百比丘尼に関係する遺跡だという、二つの塚があるという記述があるというが、詳細は不明である。
「塚」というのは、「墓」ということか、何かを信仰の対象として祭ったのかも定かではない。
なお、200mほど南の櫛引観音堂にはかつて、八百比丘尼が植えたという槻の木(欅の古名)が2本あったとされ、八百姫の碑が残っている。
また、2.3kmほど南の慈眼寺には、八百比丘尼が亡くなった場所に祠を建てたという伝承が残り、八百比丘尼が亡くなった時に抱いていたという延命地蔵尊、八百比丘尼宮、石碑などがある。→八百比丘尼の祠参照
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