|
坪井 正五郎(つぼい しょうごろう) 略歴 |
||
1863年1月5日 - 1913年5月26日 自然人類学者、理学博士。 日本の人類学の先駆者であり、日本石器時代人=コロポックル説を主張したことで知られている。 祖父は蘭学者・坪井信道、父は幕府の奥医だった坪井信良(しんりょう)。 |
お祖父さんとその婿養子であるお父さんは結構有名人らしいです。 【坪井信道(しんどう)】(1795-1846)
【弥生式土器】
足利公園古墳群わが国初の古墳の科学的な調査が行われました。
吉見百穴横穴墓群
【芝丸山古墳群】 |
|
1863(文久3) | 1月5日、江戸両国の矢ノ倉で生まれる。 | |
1868 | 5歳 静岡に移住 | |
1873(明治6) | 11歳 東京に戻り湯島麟祥院湯島小学校に入学 | |
1874(明治7) | 神田淡路町共立学校に移る | |
1875(明治8) | 東京英語学校に移る | |
1876(明治9) | 東京大学予備門に入学する | |
1880(明治13) | 東京大学予備門を卒業し、東大理学部生物学科に入学 | |
1884(明治17) | 21歳 友人から預かった土器をきっかけに貝塚調査をし、本郷弥生町の貝塚から発掘されたと論文を発表した。 | |
1884(明治17) | 同10月 人類学会を創立 | |
1886(明治19) | 23歳 人類学会報告第1号が刊行される。東京大学理学部動物学科を卒業大学院に進む。大学総長渡辺洪基より足利公園古墳群の発掘に同行するよう依頼され発掘調査を行う。 人類学会のメンバー渡瀬荘三郎がコロポックルについての論文を紹介すると同メンバーの白井光太郎がこれを辛辣に反論し、激論を戦わせる。 |
|
1887(明治20) | 24歳 埼玉県横見郡黒岩村、北吉見村の横穴を調査し、コロボックル居住説を発表する。 | |
1888(明治21) | 理科大学助手となる | |
1889(明治22) | ロンドンに留学し人類学を極める。イギリス人類学会会員に推挙される。 | |
1892(明治25) | 29歳 帰国と同時に理科大学教授となる。人類学会会長に就任。 | |
1897(明治30) | 東京市からの委託で芝丸山古墳群を調査する | |
1913(大正2) | 永眠。享年50歳。 |
|
古墳の森TOP |
|