【側ヶ谷戸古墳群の一基】
側ヶ谷戸古墳群は、鴨川沿いの肥沃な農作地帯に北から植水古墳群、側ヶ谷戸古墳群、大久保古墳群(白鍬古墳群)など長く繋がる古墳群の一支群で『さいたま市大宮区三橋4丁目』に所在する古墳の総称
である。
この台耕地稲荷塚古墳は側ヶ谷戸古墳群の最南端(西浦1号墳をのぞく)にあり
、大宮区三橋と中央区円阿弥(旧与野市)の境に存在する。
墳丘から須恵器大甕の破片が大量に出土したということだが、埴輪は発見されず、埴輪消滅後の、横穴式石室を持つ後期の古墳と考えられている。
【切石切組積みの横穴式石室】
凝灰岩の切石切組積み(古墳時代後期の横穴式の石室における、側壁の石組技法)の横穴式石室。
両袖型で、やや胴張り(玄室の中央付近で壁が左右に膨らむ)。
南向きに開口しており、おそらく、その開口部で周溝が途切れているのではないかと思う。
石室は現在は埋め戻されている。
【切石切組積みの横穴式石室】
二つの解説板では読み方が「そばがやと」となっているが、正しくは「そばがいと」
詳細は側ヶ谷戸古墳群で。
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