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栃木県指定史跡 亀の子塚古墳 / 中峰古墳群

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中峰古墳群中の一基

五行川と鬼怒川に挟まれた南北に走る宝積寺台地の東端に築かれた前方後方墳

古い時代の築造で、芳賀町では最古の古墳と考えられている

芳賀町の6基の前方後方墳としては、最大級である

横から見ると、亀の子が這っているように見えるので、古くから「亀の子山」または「亀甲山」と
呼ばれていたとのこと

古い時代の前方後方墳で、埋葬施設は後方部の竪穴系が推測されるが、後方部頂には行事神社があるため、調査は難しいだろうと思われる。

古く807年の創建ということでこの神社があったために、古墳が破壊されることがなく長く守られてきたのだろうか。

東側に円墳のような塚がある情報がなく、古墳か別時代の塚か分からないが、仮に亀の子塚東古墳(仮)としておく
 



▲左が前方部、右が後方部で墳頂に行事神社

くびれ部分から前方部端まで参道となっている
前方部は後方部に対して高さが極めて低く、長い形状を示している
 

▲南側駐車場から

ここに史跡の碑があるが、古墳は
少し上ったところにある
 

▲南側から

前方部の手前に鳥居と
行事神社へと続く階段

行事神社

西高橋の鎮守であり、祭神は武甕槌命(たけみかずちのみこと)大己貴命(おおなむちのみこと)

神社由緒によると、大同2年(807年)に鹿島神宮の祭神、武甕槌命を亀の子塚に勧請したということである。

鹿島神宮の祭神・武甕槌命は「古事記」によると、天照大神の命により大国主命と国譲りの
交渉を行ない、論争が尽きないので、大国主命の息子である健御名方命(だてみなかたのみこと)と相撲を取って決着をつけたとされている。


西高橋は鹿島神宮の神領であったこともあり、行事神社でも相撲が行なわれている

昔は、有志、青年などが神社の祭礼相撲を奉納したが、近年は青年も少なくなったので、子供相撲などを奉納しているとのこと。


2011年の東日本大震災時に被災し、社殿が崩落するなどの被害を受けたが、氏子達により早急に復旧されたとのこと

 


▲くびれ部から後方部

前方部に比べて極めて高く、
この上に行事神社の社殿
 

▲北(神社)側から前方部

参道としてきれいに整備されている

▲亀の子塚古墳現地解説板
芳賀町教育委員会による
 

▲亀の子塚古墳 墳丘測量図

▲行事神社の解説板
 

▲古墳東側の土俵
所在地 栃木県芳賀郡芳賀町西高橋
所有・管理者:行事神社 (西高橋1737)
アクセス
駐車場
 
史跡指定 栃木県指定史跡
1958年(昭和32年)2月15日指定
築造年代 4世紀後半
形状 前方後方墳 全長:約56.3m
後方部長:33m 後方部幅:31.5m 後方部高:4.6m
前方部長:23.3m 前方部幅:17.3m 前方部高:2.3m
埋葬施設 未調査
出土遺物  
周辺施設 埴輪なし
周濠あり?
調査暦 1987年 発掘調査  

探検日(写真撮影日) 2019年04月15日
最新データ更新日 2019年05月22日

【参考文献】
探訪 とちぎの古墳
下野の古墳 (1977年) (しもつけ文庫〈4〉)
海老塚古墳 (1981年) (足利市埋蔵文化財報告〈第2集〉)
明神山古墳群 (1985年) (足利市埋蔵文化財報告〈第12集〉)



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