【山名古墳群中の一基
(指定外)】
山名古墳群は高崎市街地の南南東約6.5kmに位置する伊勢塚及び原口を中心に分布している古墳時代後期から終末期の群集墳。
烏川両岸(現在の佐野・山名地区一帯)に築いたヤマト王権の直轄地「佐野三家(屯倉・さののみやけ)」の創設に関わり、山名地域を発展させた集団の墓所と見られている。
現在、史跡の指定地域には18基の古墳が保存されているが、この古墳は指定区域から200mほど西に外れて存在する。
山名古墳群では、伊勢塚古墳が、唯一の前方後円墳とされているが、この古墳も伊勢塚古墳と並ぶ前方後円墳だったとの伝えがある
。
『上毛古墳綜覧〈1938〉』では円墳とされており、墳丘は大きく削られ、原型を留めてはいないが、規模が360尺(=約110m)とあり円墳としては巨大すぎるので前方後円墳と考える方が自然
かもしれない。
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▲北東から
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【石室から舟形石棺?】明治末か大正期の大雨のあと、古墳の脇から赤い水が流れ出していたので近くを掘ったら石室が出現したという
。
その石室に丹(に)が多量にあり、その丹が雨に溶けて流れ出していた
。
(丹は赤い顔料。腐食止めか)
石室からは宝物が多く出たが、一晩のうちに無くなったという。
その時、出土した石棺は暫く稲荷社の脇に置いてあったというが、現在は所在不明である。
この古墳が伝えられている通り、前方後円墳だったとしたら、伊勢塚古墳に先行する古い時代の首長墓である可能性が高い
。
丹が大雨で溶け出して、赤い水が流れ出したとか、舟形石棺や宝物の出土などの伝えも信憑性が高いように思える。 |