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おきすこふんぐん / いばらきけんなめがたし
沖洲古墳群 / 茨城県行方市
 

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沖洲古墳群

沖洲古墳群は霞ヶ浦の北部、行方市(旧玉造町)沖洲地区に所在する。

「重要遺跡調査報告書1(1982)」には、5基の古墳が分布する中規模の古墳群とあり、
「北から南にほぼ一直線に並んでいる。一番北から、三昧塚古墳延戸古墳勅使塚古墳権現山古墳大日塚古墳の順で、いずれも前方後円墳である」と記載されている。

また、円墳数基は湮滅したとある。

「茨城県古墳総覧(1959)」では、「沖洲」に、他に円墳4基(八重塚1号墳〜4号墳)の記載があり、八重塚古墳群と呼ばれるようである。

八重塚古墳群は、沖洲古墳群に続き、大日塚古墳と同じ沖洲八重塚に造られた思われるが、詳細な所在地は不明

※訂正追記(22.10.13)
大日塚古墳の 南東、天神山古墳群との中間付近に八重塚1号墳と八重塚2号墳が所在し、円墳4基のうちに数えられているようである

「茨城県遺跡地名表(1970)」には、
「前方後円墳4基 円墳6基」とされている。

ここまでで、沖洲古墳群を構成する古墳として、10基が挙げられている。(下の一覧表)

「常陸の古墳群(2010)」では、前方後円墳3基、円墳4基、その他1基、総数8基となっている。

いばらきデジタルまっぷでは「前方後円墳1基、前方後方墳1基、帆立貝式古墳1基、円墳4基)となっている。

上記二つの資料の「円墳4基」が、古墳総覧で沖洲に所在した八重塚古墳群の4基の円墳を指すと思われるが、あるいは、全く別のものである可能性もある。

※訂正追記(22.10.13)

円墳4基は、延戸1号墳、延戸2号墳、八重塚1号墳、八重塚2号墳を指すようである。
(行方市教育委員会による)

また、三昧塚古墳が築堤工事の土取りにより破壊されたように、土取りで複数の古墳が消滅したとも伝えられており、周辺にはもっと多くの古墳が存在していた可能性がある。
 

古墳群の調査歴

茨城県は前方後円墳の数が450基と、全国で2位の数を誇っているのに、調査があまり進んでいなかった。

1955年、三昧塚古墳が、霞ヶ浦築堤工事の土取り破壊されたため、緊急発掘調査が行われた。

そのことに危機感を覚えたためか、引き続いて、1961年には1kmほど南の勅使塚古墳が調査され、この地域最古の前方後方墳であることが確認された。

その後、1971年と2007年に測量調査を経て、2015年に大日塚古墳が発掘調査された。

上記3基の調査は行われたが、権現山古墳については地権者の理解が得られなかったためか、調査は行われていない。

調査の結果、

勅使塚古墳が4世紀後半

三昧塚古墳が5世紀後半

大日塚古墳が6世紀後半

の築造であり、間を繋ぐ古墳の存在が確認されていないが、おそらく、権現山古墳勅使塚古墳三昧塚古墳の間の5世紀 代の築造ではないかと推測される。

2015年に大日塚古墳が発掘調査されたが、当初は別の5世紀 代の古墳を調査する予定であったのに、地権者の理解を得られずに、急遽、地権者の協力を得られた大日塚に変更したそうである。

この5世紀代の古墳というのが、権現山古墳のことではないか?
 


 



▲沖洲古墳群
(各種資料を基に独自に作成 カシミール3D)
 

 

三昧塚古墳

 


勅使塚古墳

低い台地の縁辺に立地する全長64mの前方後方墳で、玉造周辺に分布する古墳のうち最も古い4世紀後半に造られたと推定されている。

1961年に発掘調査が行われ、後方部墳丘下より木棺直葬の内部主体が検出された。

倣製重圏文鏡、ガラス製小玉、碧玉製管玉、鉄剣等の出土品がある。


▲勅使塚古墳実測図
「茨城県史 原始古代編」より
 



大日塚古墳

 

 
延戸古墳

延戸古墳については、ほとんどデータがなく、詳細は不明である。

「重要遺跡調査報告書1(1982)」には、沖洲古墳群5基の前方後円墳(帆立貝含む)のうちの一基として記載されている。

三昧塚古墳に次いで、北から2番目に所在し、「中間部が破損して、現況は円墳のような状況である」と書かれている。

※訂正追記(22.10.13)

延戸古墳は前方後円墳ではなく、勅使塚古墳北側の小字稲付場?に所在する2基の円墳(延戸1号墳、延戸2号墳)ということであり、沖洲古墳群中の4基の円墳に数えられている。

上の古墳群の分布図には、延戸古墳を除く、4基の前方後円墳があるが、三昧塚古墳勅使塚古墳の間は少し開いていて、ここにもう一基所在したとしてもおかしくはない。

しかし、他の文献では、記述が見つけられず、早いうちに消滅したか、古墳でないと判明したかと思われる。
 

 
権現山古墳

近隣の文化財発掘調査報告書など各種文献の位置図や記述などから、勅使塚古墳と大日塚古墳の中間、国道355線の西側の台地の下付近に所在すると思われる。

「三昧塚古墳発掘調査報告書」には勅使塚古墳の東200m、さらに300m東に大日塚古墳とあり、位置図から見て、最初は「常福寺 沖洲毘沙門天」付近かと想像した。権現→毘沙門天

しかし「重要遺跡調査報告書1(1982)」には宅地内に所在とあり、寺の敷地内であればその記述があるはず。

「茨城県古墳総覧(1959)」に記載の住所の地番が現在のものと変わりないとすれば、もう少し北側(勅使塚古墳寄りの住宅地内と思われる。

上記の「三昧塚古墳発掘調査報告書」の記述とは少々矛盾するが、「常陸の古墳群(2010)」では、勅使塚古墳の西側と記載されており、沖洲古墳群の詳細位置図(上図)もあるが、これが最も正確ではないかと思う。
 



▲古い時代の絵図 「三昧塚古墳第3次発掘調査報告書」より

「稲荷」と書かれているのが三昧塚、東側の道沿いに「毘沙門」「十王」など古墳のような小山が書かれている
 


「沖洲古墳群みんなの広場」

現在、GALLERY SAGA オフィス様が、沖洲古墳群の中心地に、「行方市玉造地域の歴史遺構散策を誰でも気軽に楽しめる」をコンセプトに、私設公園を造成中とのことです。
2023年の春の開園予定。
完成したら古墳巡りの際にはぜひ立ち寄りたいスポットですね。
詳細は→GALLERY SAGA オフィス
 

 

沖洲古墳群 一覧表

名称

史跡

現状

墳形

埋葬施設  
三昧塚古墳 前方後円墳 箱式石棺  
勅使塚古墳   前方後方墳 竪穴式石室  
権現山古墳   前方後円墳    
大日塚古墳   帆立貝型墳 横穴式石室 猿の埴輪出土
延戸1号墳     円墳   かつて1基の前方後円墳と
されていた延戸古墳
延戸2号墳     円墳  
八重塚1号墳   円墳 石棺 カラウド様
八重塚2号墳   円墳 径11m 高1.3m    
           
八重塚3号墳   × 円墳 径10.5m 高2m   不明、消滅?
八重塚4号墳   × 円墳 径18m 高2.3m   不明、消滅?
           
史跡指定 行方市指定史跡 三昧塚古墳
1990年(平成2年)8月23日指定
重要文化財(国指定)茨城県三昧塚古墳出土品 一括(考古資料)
所在地 三昧塚古墳 茨城県行方市沖洲467-1外
勅使塚古墳 茨城県行方市沖洲堀の内247-1
権現山古墳 茨城県行方市沖洲堀の内162 163
大日塚古墳 茨城県行方市沖洲八重塚1021
別名 玉造町069 「三昧塚古墳」
玉造町043 「沖洲古墳群」
アクセス
駐車場

茨城の古墳地図 2
形状 前方後円墳、前方後方墳、帆立貝型古墳
築造年代 4世紀後半〜6世紀後半
埋葬施設 箱式石棺、横穴式石室
出土品  
周辺施設  
調査歴 1955年 三昧塚古墳
1961年 勅使塚古墳
2015年 大日塚古墳
文献 「三昧塚古墳発掘調査報告書」
茨城県重要遺跡調査報告書1(1982)
茨城県重要遺跡調査報告書3(1986)
更新履歴

探検日(写真撮影日)  2022年09月29日
最新データ更新日  2022年10月13日

【参考文献】
霞ヶ浦町遺跡分布調査報告書
「常陸の古墳群 [正] 2010
「常陸の古墳群 [続] 2020
「常陸国那珂郡家の総合考察(1959)」
「茨城縣に於ける古墳の分布(1944)」



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