【広義での埼玉古墳群】
埼玉県行田市長野(旧長野村)に位置し、史跡・埼玉古墳群(さきたま風土記の丘)と忍川を挟んだ北の対岸に分布する古墳群。
埼玉古墳群と、白山古墳群との間は、最短でわずか60mしか離れていないが、それぞれ別の名称が与えられ、区別されている理由の詳細は(→白山古墳群)。
両古墳群が造営された時代には、両者を隔てるものは何もなく、一つの墓域であったと思われ、狭義での埼玉古墳群(大型前方後円墳が密集する国史跡の範囲)には含まれないものの、広義では埼玉古墳群として差支えないと思われる。
【白山古墳群】
全て円墳で、18基前後と推定されている。
墳丘が残存しているものが3基(白山古墳、神明山古墳、白山愛宕山古墳)。
調査により周堀が確認されているものが8基であり、その他、クロップマーク(※)などにより存在が想定されている古墳が7基である。
(※) 農地などで、植物がその生育度合いの差によって作り出す模様のことで、埋没した遺跡の上に現れ、発見の手がかりとなる。
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▲南西から古墳推定地
行田市遺跡地図や、右の
分布図にあるNo.81の位置
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【No.81古墳】
現在、墳丘は残されていないが、左記の白山古墳群中のクロップマーク(※)などにより、存在が想定されている古墳の1基と思われる。
調査等は行われておらず、詳細は不明である。
「埼玉県古墳詳細分布調査報告書(1994)」には、「古墳かどうか不明」とされているところを見ると、古くから存在は認識されており、かつては塚状のものがあったのかもしれない。
行田市の遺跡地図には遺跡番号81番に種別が古墳として記載されているが、遺跡名称は空欄であ
り、白山古墳群中の番号も不明である。

▲白山古墳群分布図 (「史跡埼玉古墳群総括報告書1」より)
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