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 はくさんこふん(はくさん1ごうふん) /はくさんこふんぐん (さきたまこふんぐん)
白山古墳(白山1号墳) / 白山古墳群 (埼玉古墳群)
白山2号墳 / 白山古墳群 (埼玉古墳群) 
   

※写真は全てクリックで拡大します※


広義での埼玉古墳群

埼玉県行田市長野(旧長野村)に位置し、史跡・埼玉古墳群(さきたま風土記の丘)と忍川を挟んだ北の対岸に分布する古墳群。

埼玉古墳群と、白山古墳群との間は、最短でわずか60mしか離れていないが、それぞれ別の名称が与えられ、区別されている理由の詳細は(→白山古墳群)。

両古墳群が造営された時代には、両者を隔てるものは何もなく、一つの墓域であったと思われ、特別史跡の範囲には含まれないが、埼玉古墳群として数えられている。(詳細は埼玉古墳群で)
 

白山古墳群

全て円墳で、18基前後と推定されている。

墳丘が残存しているものが3基(白山古墳神明山古墳白山愛宕山古墳)。

調査により周堀が確認されているものが8基であり、その他、クロップマーク(※)などにより存在が想定されている古墳が7基である。


白山古墳

埼玉古墳群で最北端に位置し、白山姫(はくさんひめ)神社が墳丘に祀られていることから、白山古墳と呼ばれており、白山古墳群中の1号墳とされている。

直径50mに及ぶ大型円墳と判明している。

現状、南側が削られており、横穴式石室の奥壁と思われる緑泥片岩が露出しているが、これは南側の集会所改築の際に露出したものだという。

『北武八志』には「白山墳」として記載されており、明治の頃には既に石室材が 確認され、横穴式石室の存在が知られていたようだ。

また「傍らに陪塚数箇あり」となっており、周囲の農地、宅地に、確認されいる以外にも消滅した古墳が存在したと思われる。

埼玉古墳群の終末期の7世紀前半、旧忍川の対岸に築かれた巨大首長墓群より遅れて築造されたと考えられており、古墳の縮小化が進むこの時期としては卓越した規模の古墳である。

埼玉古墳群の最高首長墓の変遷と、古墳群の終焉を考える上で重要な古墳であると考えられている。


女神の祟り?で発掘調査中止

白山姫神社に祀られている女神様は「火伏せの神」であり、「この山を掘れば火の祟りがある」と伝えられている。

明治時代、この山を掘った人物の家が燃えたことから、「祟り」と恐れ、近隣の人の間では、山を絶対に掘らないこととなったという。

1959年(昭和34年)になって、地元民を説得し、行田市史編纂事業による発掘調査が行われることにな ったが、測量調査に入った晩、付近の人家で火災があり、調査が中止となった。

1986年(昭和61年)、測量調査のみが行われ、径50mの大型円墳であることが確認されたが、一部露出している埋葬施設の発掘調査は未だに行われていない。
 



▲墳丘の南西部に白山姫神社(江戸時代には白山社と)

頭に白蛇を巻いた弁天様が祀られているという。家内、町の安全を護る、
別名「火伏せの神」で、江戸初期に流行った白山信仰によるものようだ。
(「女神様の祟り」については左下を参照)
 

▲墳丘南側の中央付近

横穴式石室の奥壁と思われる
緑泥片岩が突き出ている
 

▲東側から奥壁の石

この左手に横穴式石室が続くと
思われるが、既に側壁はなく、
羨道部は完全に破壊されている
 

▲社殿石段の右手の石

側壁に使用された角閃石安山岩が
積まれているというが、どれか不明
 

▲墳頂部

墳頂は削平されているように
平らだが、現在は何もない
 

▲白山古墳全体図
 

▲現地解説板
 


白山2号墳

白山古墳の南西に接して、推定直径40mの円墳の跡が確認されている。

調査されたのは西側のブリッジ周辺のみだが、ブリッジ北側の周堀から、人物埴輪、馬型埴輪が出土し、南側からは太刀、靫(ゆき・矢を入れる道具)、鉾型などの形象埴輪 が出土している。

白山古墳に先行する6世紀末の築造と推定されている。

「史跡埼玉古墳群 総括報告書1」によると、稲荷山古墳の北という位置関係や、平成28年度の発掘調査で出土した須恵器などから、稲荷山古墳の陪塚」という記述があるが、それにしては少々距離が離れており、推定される築造時期にもずれがあるし、2号墳が平成28年度に調査された記録も確認できない。

これはもしかしたら白山4号墳(白山愛宕山古墳)の誤記かもしれない。

白山愛宕山古墳は平成28年度に調査しており、推定される築造年代からも、稲荷山古墳のすぐ北という立地からも、稲荷山古墳の陪塚として不自然ではな いようと思える。
 

所在地 埼玉県行田市長野字白山5959 アクセス
駐車場

駐車場なし
別名 遺跡番号054
白山墳、白山1号墳、白山神社古墳
史跡指定  
築造年代 7世紀前半
形状 円墳 
径:50m 高さ:5.7m
埋葬施設 横穴式石室
緑泥片岩(奥壁)、角閃石安山岩(側壁)
出土遺物  
周辺施設 埴輪なし
調査暦 1959年(昭和34年) 行田市史編纂事業による(中止)
1986年(昭和61年) 県立さきたま資料館調査研究事業による測量調査
更新履歴

探検日(写真撮影日) 2019年12月15日
最新データ更新日 2020年08月22日

文献 □「史跡埼玉古墳群総括報告書1」 埼玉県教育委員会2018
□埼玉県古墳詳細分布調査報告書 (1994)
さいたま古墳めぐり古代ロマンの70基(さきたま双書)
埼玉の古墳 北埼玉・南埼玉・北葛飾 さきたま出版会
埼玉県の歴史 (県史)



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