【広義での埼玉古墳群】
埼玉県行田市長野(旧長野村)に位置し、史跡・埼玉古墳群(さきたま風土記の丘)と忍川を挟んだ北の対岸に分布する古墳群。
埼玉古墳群と、白山古墳群との間は、最短でわずか60mしか離れていないが、それぞれ別の名称が与えられ、区別されている理由の詳細は(→白山古墳群)。
両古墳群が造営された時代には、両者を隔てるものは何もなく、一つの墓域であったと思われ、特別史跡の範囲には含まれないが、埼玉古墳群として数えられている。(詳細は埼玉古墳群で)
【白山古墳群】
全て円墳で、18基前後と推定されている。
墳丘が残存しているものが3基(白山古墳、神明山古墳、白山愛宕山古墳)。
調査により周堀が確認されているものが8基であり、その他、クロップマーク(※)などにより存在が想定されている古墳が7基である。
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▲南側の旧忍川の遊歩道から
古墳の一部は「白山愛宕山古墳
歴史の広場」として整備されている
古墳の南東側の約1/4の範囲で
周溝を盛土保存しており、当時の
周溝の位置を確認できるように
溝に沿ってレンガを配置してある
この看板左の遊歩道にはかつて
白石9号墳が所在したようである
(消滅時期は不明)
奥のソーラーパネルの向こう側に
神明山古墳の墳頂部が見える
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【白山愛宕山古墳】白山古墳群中では4号墳とされており、墳頂に愛宕神社が祀られていることから、「愛宕山」と呼ばれるということだが、現在、神社は見受けられない。
(かつては久伊豆神社の所有だったという)
現在は墳丘が大きく失われ、1/4ほどの大きさになっている。
旧忍川を挟んですぐ南の対岸に、稲荷山古墳、丸墓山古墳などの巨大古墳がそびえ、すぐ南西に隣接していた白山9号墳と稲荷山古墳との間はわずか60mほどしかない。
古墳時代には、両者を隔てる忍川はなく、谷は埋没していたということから、これらの古墳は、埼玉古墳群の大型古墳の陪冢(ばいちょう)的な小円墳だった可能性が言われている。
稲荷山古墳などと共に埼玉古墳群中で最初期に築造された古墳の一つであり、埼玉古墳群の始まりを考える上で重要な古墳である。
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