【中之芝古墳群】
秩父市との境界近く、荒川右岸の低位段丘に立地しているこの地域にたくさんみられた古墳群のうちの一つ。
この円墳大塚古墳の他に、中之芝1号墳〜4号墳が確認されているが、秩父鉄道などにより既に破壊された古墳もある。
北に所在する内出古墳群、柳瀬古墳群を含め、この地域は「十三塚」とも呼ばれる。
【秩父地方最大の切石古墳】
江戸時代に既に開口していたため、副葬品などは見つかっていないが石室の保存状態は良い。
玄室は面積が7畳敷もあり、胴張り(壁面が曲面になっている)両袖型で、床に比べて天井が狭い持ち送り積みになっている
柵があり中には入れず、中に入るには許可が必要。
【氷ノ雨塚、十三塚などの別称】
江戸時代の「新編武蔵国風土記稿」には「氷ノ雨塚五ヶ所」の一つ「大塚」として、開口している横穴式石室の様子が記載されている
また、大正時代の書物には「字大塚に、大塚久助あり。氏の土地に大塚あり。〜中略〜この付近を字十三塚とし、これが十三番目の古墳なりとも云う」との記述もある
▲秩父志より『大塚大天貊圖』
大塚大天白図?
▲古墳前の解説板
埼玉県教育委員会、
皆野町教育委員会による
平成6年3月31日付けのこの板には「秩父地方の古墳は、現在のところ古墳時代後期になってから築造されたと考えられている」と書かれているが、この2年後の1996(平成8)年にすぐ300mほど東にある稲穂山古墳が発見され、古墳時代中期、秩父地方最古とものとされ、この定説が覆った
【古墳名について】
「大塚古墳」という名称は非常に多くあるが、わざわざ「方墳」と墳形を古墳名の前につけて登録されているのは珍しい
これは、同じ埼玉県のさいたま市(旧大宮市)に『方墳大塚古墳』があり、同日に埼玉県の史跡に指定されており、区別するためと思われる
。
埼玉県の指定文化財の一覧によると、昭和33年3月20日に指定登録された古墳は4基あり、そのうちの2基は「大塚古墳」という名称である
一覧には下記のように連番で並んでいる
史跡No.67 方墳大塚古墳(埼文指第107号)
史跡No.68 円墳大塚古墳(埼文指第108号)
所在地の名を前につけても、良かったのであろうが、県下では方墳が珍しいということで、史跡指定された関係で、墳形をつけたが分かりやすいと判断し、二つの大塚古墳の前に、墳形をつけて登録名としたのかもしれない
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