【樋遣川古墳群】
浅間川(阿佐間川)の右岸に築造された古墳群で、かつては7基の存在が知られており、「樋遣川の七塚」と呼ばれていた。
現存するのは、御室塚(諸塚)、稲荷塚、浅間塚の3基のみである。
【御陵墓伝説地】
墳丘に御室社(みむろしゃ)が鎮座する御室塚(諸塚・みむろづか・もろづか)には上毛野(群馬県)の国造であった御諸別王(みもろわけのおう)の墳墓という伝承が古くより残る。
実際、明治政府による陵墓探索が盛んに行われた時期に調査され、残存していた3基の古墳、御室塚が御諸別王の墳墓、稲荷塚、浅間塚がその関係地として、「御陵墓伝説地」
(宮内庁管理外)に内定した(現在もそのままのようである)。
しかし、群馬県内にも御諸別王の墳墓と伝承される古墳は複数存在し、
また、年代にもズレがあることから、現在では、御諸別王の陵墓ではなく、この地の有力者の墳墓と
考えられているようだ。(詳細は樋遣川古墳群参照)
【稲荷塚古墳】
字名「稲荷台」にあったことから、稲荷塚とよばれるようになったといい、墳丘には稲荷神社が鎮座している。
解説板や碑には「稲荷塚」となっているが、加須市の指定の名称は「稲荷神社」となっている。
上記の通り、明治年間には西に隣接する浅間塚と共に御諸別王の子孫の墳墓あるいは、陪冢(ばいちょう)と考えられたようである。
▲樋遣川稲荷塚古墳測量図
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