【栢間古墳群中
の一基】
埼玉県の重要遺跡に選定された9基の古墳が存在しており、「栢間七塚」とも呼ばれている栢間古墳群を構成する一基
この富士塚古墳は主墳とされる天王山塚古墳の南500mほどのところに所在する
江戸時代、富士浅間信仰により、古墳の墳丘を富士山に見立て、富士塚として信仰されたことが古墳名と墳頂の石碑にある「木花佐久夜姫神」の文字から推測できる
。 また、左右に小さく「蚕影大神」「豊受姫神」の文字もあり、「蚕影(こかげ)大神」は茨城の蚕影山信仰に関連するのか、「豊受姫神」は祭神として祀る神明神社(天王山塚古墳の北)に関係があるのか
。
「木花佐久夜姫神」は富士山の女神であり、
富士山を神体山とする富士山本宮浅間大社の祭神であり、全国の浅間神社で祀られる。
▲栢間古墳群富士塚古墳全体図
!混同注意!
天王山塚古墳の後円部上に築かれた富士塚とは全く別のものである
こちらが古墳時代の古墳を富士山に見立て、浅間信仰に利用したものであるのに対し、あちらは、古墳上に新たに築かれた江戸時代の塚である
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