【白石古墳群・稲荷山支群】
鮎川の西岸に、南北約2キロにわたって展開される群馬県屈指の大古墳群・白石古墳群を構成する4つの支群
の一つ、稲荷山支群に分類され、稲荷山古墳群と表記される場合もある。
中心となる白石稲荷山古墳(国指定史跡)七輿山古墳(国指定史跡)は、白石古墳群全体のの中でも最大規模で、七輿山支群の七輿山古墳(国指定史跡)と共に群を抜いており、東日本でも最大級である。
現在、稲荷山支群の皇子塚古墳、平井地区1号古墳、白石稲荷山古墳を含む地区を中心として、七輿山支群の南部、七輿山古墳を含む地域一帯が、毛野国白石丘陵公園として整備を進められている。
【平井地区1号古墳】
稲荷山支群の北端に位置する、幅広の基壇を有する2段築造の円墳であり、隣り合う皇子塚古墳とは同時期の6世紀後半の築造である。
かつての多野郡平井村に所在するが、1935年(昭和10年)の群馬県下の古墳の一斉調査では漏れていたのか、平井村〇号古墳というような番号は付与されていない。
皇子塚のような地元民に古くから呼びならわされていた独自の呼称もなく、「平井地区1号」など、後からとってつけた整理番号のようなものしかない。
「群馬県遺跡台帳」にも記載がなく、かつては隣の「皇子塚古墳」ほどに注目されていなかったのか、古墳として認識されていなかったのか。
【出土品は国指定の重要文化財】
石室から出土した武具、馬具などの副葬品や、埴輪、土器は一括して、国の重要文化財にに指定された。
特に玄室の奥壁前に完全な形で残されていた2本の装飾太刀、金銀装単鳳環頭大刀
(こんごうそうたんほうかんとうたち)と銀象嵌円頭大刀(ぎんぞうがんとうたち)は極めて貴重なものである。
上記のように、もし、古墳として認識されていないような状態であったのなら、ほとんど盗掘を受けることなく、そのため、このような素晴らしい装飾太刀が残されていたのか。
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